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真田幸隆 [真田幸隆]

今回はおなじみPHP文庫から真田幸隆です。
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?select=4-569-66102-5

幸隆は真田幸村のおじいちゃんにあたります。真田家は幸隆が武田信玄(晴信)に仕えたところから、歴史の表舞台にでてくるのですが、その前に幸隆は信玄のお父さんの信虎、村上義清、諏訪頼重の連合軍に攻められ上州箕輪城主・長野業正を頼って逃れています。ところが関東管領上杉憲政は北条に攻められており、幸隆の旧領回復に乗り気ではありませんでした。そんな折に武田晴信の使いとして山本勘介が幸隆をスカウトをしに来ました。幸隆はそれに乗って晴信の部下になります。

そんな幸隆を有名にしたのは前年晴信が村上義清に大敗した(戸石崩れ)戸石城を調略により、一滴の血を流さずに戸石城を乗っ取った事です。実は前年の戸石城攻めを進言したのは幸隆だったので、幸隆も譜代の家臣ではないため必死に調略をしたのだと思います。
この調略の詳細はこの小説に書いており、上司部下間の微妙な不信感や不満を上手く利用して調略したようです。

その後、信玄の上州攻めに幸隆の調略の才能は発揮されましたが、信玄の死後に後を追うように天正2年(1574年)に病死しました。幸隆の体には全身35箇所の疵があったといわれており、調略だけではなく実際の戦場の最前線に出ていたことが分かります。

幸隆は有名な六文銭の旗印や忍者など、その後の昌幸、幸村と続く真田流の戦略の礎を築きました。昌幸、幸村ほど有名ではありませんが、3代に渡って真田家が戦国時代を生き抜いたというのはすごいことだと思います。

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