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家康・十六武将 [渡辺守綱]

こんにちは。ちょっと忙しく、二週間ぶりの更新になります。
この二週間の間に「戦国ネタブログ」へのアクセス数が10,000アクセスを超えました。みなさんありがとうございます!「マニアックすぎてよくわからない」という声もありますが、「あまり知られていない武将やお城のエピソードを紹介する」というポリシーにそって引き続きマニアックば武将やお城を紹介していきます。週一回更新の週末ブロガーですが、まだ24人の武将と6つのお城しか紹介していませんので引き続きよろしくお願いします。[手(チョキ)]

さて今日は(も?)PHP文庫からでている「家康・十六武将」から武将を紹介します。日本各地の有名な武将は自分を支えた家臣団を「~将」として後世まで絵画や本の中に残しています。例えば武田信玄の「武田二十四将」、上杉謙信の「上杉二十五将」などがありますが、それならの中に「徳川十六神将」というのがあり、この小説ではその十六将にプラスマイナスをして徳川家康の天下取りを支えた十六人を紹介しています。ちなみに「徳川十六神将」は松平康忠、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政、大久保忠世、大久保忠佐、平岩親吉、鳥居元忠、内藤正成、服部正成、渡辺守綱、高木清秀、米津常春、蜂屋貞次の十六人です。

さて今日はその中から渡辺守綱を紹介します。(もちろんここではマニアックば武将です、はい。)この守綱は「槍の半蔵」というあだ名がつけられているほどの槍の名手です。この「槍の~」といわれる戦国武将は何人かおり、「槍の又佐」-前田利家、「槍の又兵衛」-後藤又兵衛、「槍の勘兵衛」-渡辺勘兵衛などがいます。そんな家康の有力な家臣の十六人に数えられる守綱ですが、超現場主義は武将でした。

守綱は家康と同じ年なのですが、家康が今川義元の人質となっている時に仕えてから、姉川、三方ヶ原、長篠、小牧長久手、関ヶ原そして大阪冬の陣と家康の参陣した戦いの常に槍をもって先陣を務め、戦場の第一線に立っていた武将なんですね。他の家康の家臣がどんどん出世していきましたが、守綱は関ヶ原の戦いまでは足軽頭にすぎませんでした。その後、家康の九男で初代尾張藩主の義直付になった時に初めて一万石以上与えられました。う~ん、遅咲きの花といった感じですかね。

ちなみに守綱は大阪夏の陣にも参陣していますが、先陣ではなかっただけです。冬の陣では70歳を越えても先陣を務めていたのですから当時としてはすごいおじいちゃんだったと思います。この十六神将で大阪の陣に参加したのはおそらく守綱だけですからね。さらに同い年の家康は大阪の陣後すぐに死んでしまいますが、守綱はさらに四年生き続けました。す、すごい。。

この「家康・十六将」の武将には藤堂高虎も入っています。確かに高虎は家康のために働いたかと思いますが、さすがにそれはちょっと強引ではないかと。。

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betch

1まんアクセスおめでとう!!
今後も継続してください
by betch (2008-12-18 18:04) 

fuzzy

betchさん、ありがとうございます!
引き続きガンバリます!!

by fuzzy (2008-12-18 18:36) 

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