SSブログ

天地人 第十回 [柿崎晴家]

いや~「天地人」盛り上がってきましたね~

春日山城の本丸の占拠は兼続のお父さん、樋口惣右衛門(高嶋政伸)の進言によるものでした。いままでは景勝と兼続が景虎を出し抜いて本丸を占拠して、あの二人も結構ひどいなぁと思っていたのですが、惣右衛門が命を懸けて進言をしたとなると、景勝と兼続のダークなイメージもなくなるというものです。

ここから「御館の乱」へと続くのですが、ことの発端は景虎派の柿崎晴家が景勝の館に夜討ちをしかけてきたところから始まりました。最近はパチンコ「花の慶次」のイメージソングも歌っていて戦国づいている角田信朗が晴家役です。

この晴家は上杉家随一の猛将、柿崎景家の子供になります。上杉家と北条家が同盟を結んだ際(越相同盟)に北条側からは人質として景虎が上杉側へ、上杉側からは謙信に子供がいなかったため、景家が晴家を替わりに人質として出します。その後、北条は武田と同盟を結ぶこととなって同盟が破棄され、晴家は帰らされましたが、景虎はそのまま養子として謙信のもとに残りました。上杉家の前は武田家へ人質、その後一族の北条幻庵の養子とコロコロ動かされるのがイヤになって北条家に戻りたくなかったのかもしれませんね。

人質って結構子供が行くものと思うのですが、越相同盟は御館の乱の8年前。8年前の角田信朗は少なくとも子供には見えないでしょう。。ちなみに景虎はそのとき18歳前後ですかね?う~ん、またも出てきた「天地人」年齢設定の苦しさ。

という訳で、晴家は夜討ちに失敗し死んでしまうのですが、この行動が上杉家を真っ二つに割れる争いをおこしてしまうんですね。ちなみに、晴家の弟(もしくは子供)は憲家は景勝派についたため、柿崎家は存続しています。

あ、刈安兵庫(三池崇史)が再び出てきましたね。ヤッターマン公開記念でしょうか?

崖に落とされていましたが。。


戦国時代ブログランキング参加中!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:テレビ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

歴史街道3月号戦国武将列伝 4月号 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。