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国府台城訪問記 [城-千葉県]

久々のお城訪問記です。今回は千葉県にある国府台城をご紹介します!
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国府台(「こくふだい」と書いて「こうのだい」というらしいです。fuzzyも「こくふだい」だと思っていました)?
と聞いて「あぁ、あの合戦の舞台ね」と気づく方は立派な戦国上級者!ここは北条と里見が2度にわたって対戦した、関東でも有名な合戦の一つである「国府台合戦」の舞台です。

国府台城は京成線の国府台駅から江戸川沿いを15分ほど歩くと見えてきます。江戸川のすぐ脇にあるのですが、川からは結構高いところに位置しています。城跡には国府台城の所在地である市川市で最も高いところにあることを示す標識があります。なかなかの立地条件に築城したのではないでしょうか?
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現在「里見公園」という名前で公園化されており、城跡はその中にあります。残念ながらこの場所には明治時代に陸軍の病院が作られていたため、ここが本丸、ここが二の丸と明確な位置がわからないんです。。土塁、空堀がなんとな~く残されているといった感じです。
これが「物見の松」といわれる櫓の跡です。
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動画で土塁と空堀をご覧下さい!

右側の土塁はもともとあった前方後円墳が利用されています。なんとこの土塁のてっぺんには石棺が出土しちゃってんです。

それでは、国府台城の歴史を説明、
このお城“も”太田道灌が文明10年(1478)に仮陣を作ったのが最初とされています。関東にはとにかく道灌によって築城されたというお城がホントに多いです。で、それから60年後、、、第一次国府台合戦が起こります。第一次は古学公方の内輪もめ(古河公方足利晴氏と小弓公方足利義明)を北条氏綱と里見義堯がそれぞれバックアップした戦いなんですね。戦いは義明が討ち死にして終わります。その後この城は北条の勢力下に入ります。

時は流れて25年後、、今度はそれぞれの息子同士である北条氏康と里見義弘の直接対決となりました。北条軍2万、里見軍8千。数で少ない里見軍は緒戦を優勢に進めましたが、戦勝で気を緩めているときに北条軍の夜襲により敗走。
それでも里見家は秀吉の小田原征伐までずっと北条と死闘を繰り返してきたのですから立派です。北条は関東を治めているとされていますが里見が安房でがんばっていましたからね。千葉は広い。。
そして、徳川家康が江戸に入ると、江戸城を見下ろせる場所にあった国府台城は廃城とされていまいました。

江戸川を対岸方面に見ます。夕方の富士山がとてもキレイです。
確かに高台にあるので、当時は江戸城が丸見えだったのかもしれません。
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国府台城は11月の終わりごろに行ったのですが、次のお城巡りは暖かくなってからにしたいです。
寒いのキライなもんで。。

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コメント 2

ノリパ

国府台ですか、知らないデス・・・ 大きな空堀、立派な所だったんですね。
富士山がきれいに見えて、イイ所だ。
by ノリパ (2010-01-24 16:39) 

fuzzy

ノリパさん、コメントありがとうございます。おそらく東京、千葉近辺に住んでいる方でもこのお城は知らないと思います。建物はおろか、石垣すらないですからね。。ちなみに園内には北原白秋の旧家が移築されています。
戦国時代には関係ありませんが。
by fuzzy (2010-01-24 23:40) 

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