滝山城訪問記 [城-東京都]
先週ご紹介した「村人の城・戦国大名の城」の著者である城郭研究家の中田正光氏は北条氏照の居城だった滝山城のすばらしさを世に広めるためにこの本を執筆したとか。しかも中田氏はあまりにも滝山城に見せられてしまい、お城の近くに移住してしまったという熱の入れ様です。ホントに偶然にもこの本を読む少し前に滝山城を訪問していたのでレポートします。
滝山城は東京都にあります。とはいえ都心からJR中央線もしくは京王線で小一時間の八王子駅(京王線は京王八王子駅)からさらにバスに揺られて30分のところにあります。山奥にあるのかと思いきや、周りには大学が多くあり閑静な住宅街といった感じでしょうか?
バス停を降りるとすぐ大手口です。看板がfuzzyを迎えてくれます。
それでは登城開始♪
やはり、まっすぐにはお城に行けません。。
ちなみに今回の滝山城は見所満載なため、縄張り図に写真と動画の場所を示していますので(写真は白四角、動画は赤ワク四角)参考にしていただくとよりこのブログが楽しめるかと思います。
しばらくすると土塁と空堀が見えてきます。
左側を小宮曲輪といいます。
動画でどうぞ。
右側は三の丸になります。
う~ん、なかなかの高さですが、1569年(永禄12年)に武田信玄が攻めてきた際はこの三の丸は突破されました。この先はどうなっているのでしょうか?
二の丸までに食い違い虎口があります。
\
左側は千畳敷といわれる場所です。
そして、二の丸です。
こ、これは、、、
写真や動画でどのくらい伝わるかわかりませんが、いや~こんなに大規模な石垣にない空堀は初めて見たかもしれません。こりゃ信玄も滝山城の攻略をあきらめるでしょう。
二の丸の上は中の丸という場所です。ここにはトイレや滝山城の解説をしている看板があります。
中の丸と本丸は復元された曳橋で渡る事ができます。敵が攻めてきた際はこの橋を落とすと本丸が独立した曲輪になるわけですね。
本丸側は北条家のお城ではおなじみ、枡形虎口になっています。では、動画で渡ってみましょう♪
橋を渡ったところには、発掘調査時の枡形虎口の解説板があります。
やっと本丸に到着しました♪
今回は画像、動画が満載で駆け足できましたので皆様、お疲れ様でした。
滝山城の本丸は2段に分かれている珍しい形をしています。
一段上がったところから多摩川方面(搦手側)の眺めです。う~んよい眺めじゃ。この眼下の多摩川の対岸に武田信玄が布陣したとされています。
ちなみに本丸には、曳橋をわたる以外にも下から登ってくる道もあります。もちろんここも枡形虎口です。
本丸に到達したところで、滝山城の歴史紹介です。
滝山城は1521年(永正18年)に武蔵国の守護代大石定重が築城したとされています。定重の子の大石定久が北条の勢力が伸びてきたことで、北条氏康の三男・氏照を婿養子として迎え、氏照が城主となりました。氏照がいまのような大城郭に拡大しました。
そして滝山城が歴史に名を残した永禄12年(1569)がきます。甲駿相三国同盟が破棄されて、武田信玄が北条領に攻めてきました。三の丸の所で少し書いたように滝山城は三の丸まで攻め込まれましたが、ここから先を攻めるのに時間がかかると考えた信玄は本来の目的である小田原城の攻撃に向かいました。その後すぐに氏照は滝山城の防御の限界を考えてか、八王子城の築城に取り掛かり、1587年(天正15年)頃に八王子城に移りました。
曳橋の下からの大堀切の撮影です。
このアングルの写真は皆さん滝山城の紹介で使っていらっしゃいますね。
ちなみにこの大堀切は大河ドラマ「天地人」で春日山城への登城シーンで使われていました。
搦手側も一直線には本丸に行けないようになっています。
二の丸の東側は重臣達の屋敷があった場所とされています。
ふぅ、、一通り説明終了デース。
今までのお城紹介で一番写真と動画を使ったかもしれません。それだけ見所があったということです。
滝山城は石垣すら組まれていないお城ですが、鉄砲攻撃が全盛となるまでは十分に防御力があった堅城だといえそうです。東京近辺に住んでいる方は是非訪れてみてください。
ちなみに、fuzzyは滝山城に来たのは二回目なんです。最初に訪れたのはウン十年前の小学二年の時の遠足。。
全くお城に来たという記憶がありません。。
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滝山城は東京都にあります。とはいえ都心からJR中央線もしくは京王線で小一時間の八王子駅(京王線は京王八王子駅)からさらにバスに揺られて30分のところにあります。山奥にあるのかと思いきや、周りには大学が多くあり閑静な住宅街といった感じでしょうか?
バス停を降りるとすぐ大手口です。看板がfuzzyを迎えてくれます。
それでは登城開始♪
やはり、まっすぐにはお城に行けません。。
ちなみに今回の滝山城は見所満載なため、縄張り図に写真と動画の場所を示していますので(写真は白四角、動画は赤ワク四角)参考にしていただくとよりこのブログが楽しめるかと思います。
しばらくすると土塁と空堀が見えてきます。
左側を小宮曲輪といいます。
動画でどうぞ。
右側は三の丸になります。
う~ん、なかなかの高さですが、1569年(永禄12年)に武田信玄が攻めてきた際はこの三の丸は突破されました。この先はどうなっているのでしょうか?
二の丸までに食い違い虎口があります。
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左側は千畳敷といわれる場所です。
そして、二の丸です。
こ、これは、、、
写真や動画でどのくらい伝わるかわかりませんが、いや~こんなに大規模な石垣にない空堀は初めて見たかもしれません。こりゃ信玄も滝山城の攻略をあきらめるでしょう。
二の丸の上は中の丸という場所です。ここにはトイレや滝山城の解説をしている看板があります。
中の丸と本丸は復元された曳橋で渡る事ができます。敵が攻めてきた際はこの橋を落とすと本丸が独立した曲輪になるわけですね。
本丸側は北条家のお城ではおなじみ、枡形虎口になっています。では、動画で渡ってみましょう♪
橋を渡ったところには、発掘調査時の枡形虎口の解説板があります。
やっと本丸に到着しました♪
今回は画像、動画が満載で駆け足できましたので皆様、お疲れ様でした。
滝山城の本丸は2段に分かれている珍しい形をしています。
一段上がったところから多摩川方面(搦手側)の眺めです。う~んよい眺めじゃ。この眼下の多摩川の対岸に武田信玄が布陣したとされています。
ちなみに本丸には、曳橋をわたる以外にも下から登ってくる道もあります。もちろんここも枡形虎口です。
本丸に到達したところで、滝山城の歴史紹介です。
滝山城は1521年(永正18年)に武蔵国の守護代大石定重が築城したとされています。定重の子の大石定久が北条の勢力が伸びてきたことで、北条氏康の三男・氏照を婿養子として迎え、氏照が城主となりました。氏照がいまのような大城郭に拡大しました。
そして滝山城が歴史に名を残した永禄12年(1569)がきます。甲駿相三国同盟が破棄されて、武田信玄が北条領に攻めてきました。三の丸の所で少し書いたように滝山城は三の丸まで攻め込まれましたが、ここから先を攻めるのに時間がかかると考えた信玄は本来の目的である小田原城の攻撃に向かいました。その後すぐに氏照は滝山城の防御の限界を考えてか、八王子城の築城に取り掛かり、1587年(天正15年)頃に八王子城に移りました。
曳橋の下からの大堀切の撮影です。
このアングルの写真は皆さん滝山城の紹介で使っていらっしゃいますね。
ちなみにこの大堀切は大河ドラマ「天地人」で春日山城への登城シーンで使われていました。
搦手側も一直線には本丸に行けないようになっています。
二の丸の東側は重臣達の屋敷があった場所とされています。
ふぅ、、一通り説明終了デース。
今までのお城紹介で一番写真と動画を使ったかもしれません。それだけ見所があったということです。
滝山城は石垣すら組まれていないお城ですが、鉄砲攻撃が全盛となるまでは十分に防御力があった堅城だといえそうです。東京近辺に住んでいる方は是非訪れてみてください。
ちなみに、fuzzyは滝山城に来たのは二回目なんです。最初に訪れたのはウン十年前の小学二年の時の遠足。。
全くお城に来たという記憶がありません。。
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2010-06-20 23:43
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