滝の城訪問記【東京と埼玉の境目に知られざる城跡が】 [城-埼玉県]
引き続き「村人の城・戦国大名の城」からご紹介します。
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2010-06-13
今回ご紹介するお城は、“境目の番城”滝の城です!!
わかります。ええ、わかっています。そこそこお城には自信がある私も「村人の城・戦国大名の城」を読んで初めて知ったお城です。知らない人がほとんどだと思います。
滝の城は埼玉県にあります。東京競馬場から中山競馬場を結ぶギャンブル電車(ウソ)JR武蔵野線の東所沢駅から徒歩20分くらいの場所にあります。遠いよ~と思われた方。安心してください。バスも通ってます。その場合は以下のバス停で下車してください。
バス停の名前は「城」。わかりやすっ!
このバス停から歩いて3分ほどで見えてきます。なんか、盛り上がっている様子。。
「北条氏照公の持城」というなんともビミョーなアピール。氏照の居城ではないですからね。。
まずは二重堀が迎えてくれます。
それでは二の丸に突入しますが、空堀があります。
動画でどうぞ!
二の丸は本丸にある神社の社務所になっています。まわりが土塁で囲まれているのがわかりますかね?
社務所の前に保存会の方の資料がおいてあります。
こちらにおいてある見取り図をご覧いただくとわかりやすいと思います。(保存会の皆さんありがとうございます!!)
二の丸と本丸の間も空堀があります。
動画で見るとこんな感じです。
いよいよ本丸です!ここまで入口からの所要時間は1分くらいでしょうか?非常にこじんまりとしています。
本丸跡は城山神社になっています。
本丸をぐるっと動画で見てみましょう♪
本丸まで到達したところで、いつものように滝の城の歴史を紹介~
滝の城は武蔵国守護代の大石氏が築城したとされています。その後、北条氏の支配下となり滝山城を本拠とした北条氏照の支城となりました。実は滝の城は非常に重要な城でここが岩槻城を本拠とする太田資正との領地の境界線だったのです。とはいっても常にこの城に兵がいるわけではなく、滝の城の下を流れる柳瀬川の対岸にあった清戸番所といいわれたところに駐在していたんです。史書によると氏照は北関東に出陣の際の集合場所を滝の城にしていたようです。へ~。
そして時が流れて、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐が開始されます。滝の城は豊臣軍の浅野長政らに攻められました。北条軍は南側(柳瀬川側でしょうか?)から攻めてくると予測して防備を堅くしておりましたが、反対側の北側(大手門方面)から攻めてきて、あっという間に落城したそうです、、う~ん。。
その後、他の北条のお城と同様に廃城になりました。。
本丸から柳瀬川方面の眺め。こちら側は結構な高台にあるんです。
本丸から柳瀬川方面に下りる階段があるんですが、これがまた急なんですよ。
次は三の丸です。空堀を動画でどうぞ。
三の丸と本丸は橋で繋がっていたようです。
三の丸の外側にある物見台
三の丸と出曲輪の間の堀でしょうか?
出曲輪(?)にある滝。この滝が滝の城の由来とされています。
ここが大手門の跡になります。
外曲輪にある物見台の跡。
“境目の城”滝の城は現在でも柳瀬川を挟んで東京都と埼玉県の境目にあります。「村人の城・戦国大名の城」に書かれている外曲輪は宅地化が進んでいますが、本丸、二の丸と空堀や土塁がまるまる残っており、杉山城のようなコンパクトな城跡を東京近郊で楽しむ事ができます。これも保存会の皆さんの尽力のたまものだと思います。
浅野長政に攻められたという史実もあるようですので、これからもっとメジャーな城跡になることを祈っています♪
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わかります。ええ、わかっています。そこそこお城には自信がある私も「村人の城・戦国大名の城」を読んで初めて知ったお城です。知らない人がほとんどだと思います。
滝の城は埼玉県にあります。東京競馬場から中山競馬場を結ぶギャンブル電車(ウソ)JR武蔵野線の東所沢駅から徒歩20分くらいの場所にあります。遠いよ~と思われた方。安心してください。バスも通ってます。その場合は以下のバス停で下車してください。
バス停の名前は「城」。わかりやすっ!
このバス停から歩いて3分ほどで見えてきます。なんか、盛り上がっている様子。。
「北条氏照公の持城」というなんともビミョーなアピール。氏照の居城ではないですからね。。
まずは二重堀が迎えてくれます。
それでは二の丸に突入しますが、空堀があります。
動画でどうぞ!
二の丸は本丸にある神社の社務所になっています。まわりが土塁で囲まれているのがわかりますかね?
社務所の前に保存会の方の資料がおいてあります。
こちらにおいてある見取り図をご覧いただくとわかりやすいと思います。(保存会の皆さんありがとうございます!!)
二の丸と本丸の間も空堀があります。
動画で見るとこんな感じです。
いよいよ本丸です!ここまで入口からの所要時間は1分くらいでしょうか?非常にこじんまりとしています。
本丸跡は城山神社になっています。
本丸をぐるっと動画で見てみましょう♪
本丸まで到達したところで、いつものように滝の城の歴史を紹介~
滝の城は武蔵国守護代の大石氏が築城したとされています。その後、北条氏の支配下となり滝山城を本拠とした北条氏照の支城となりました。実は滝の城は非常に重要な城でここが岩槻城を本拠とする太田資正との領地の境界線だったのです。とはいっても常にこの城に兵がいるわけではなく、滝の城の下を流れる柳瀬川の対岸にあった清戸番所といいわれたところに駐在していたんです。史書によると氏照は北関東に出陣の際の集合場所を滝の城にしていたようです。へ~。
そして時が流れて、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐が開始されます。滝の城は豊臣軍の浅野長政らに攻められました。北条軍は南側(柳瀬川側でしょうか?)から攻めてくると予測して防備を堅くしておりましたが、反対側の北側(大手門方面)から攻めてきて、あっという間に落城したそうです、、う~ん。。
その後、他の北条のお城と同様に廃城になりました。。
本丸から柳瀬川方面の眺め。こちら側は結構な高台にあるんです。
本丸から柳瀬川方面に下りる階段があるんですが、これがまた急なんですよ。
次は三の丸です。空堀を動画でどうぞ。
三の丸と本丸は橋で繋がっていたようです。
三の丸の外側にある物見台
三の丸と出曲輪の間の堀でしょうか?
出曲輪(?)にある滝。この滝が滝の城の由来とされています。
ここが大手門の跡になります。
外曲輪にある物見台の跡。
“境目の城”滝の城は現在でも柳瀬川を挟んで東京都と埼玉県の境目にあります。「村人の城・戦国大名の城」に書かれている外曲輪は宅地化が進んでいますが、本丸、二の丸と空堀や土塁がまるまる残っており、杉山城のようなコンパクトな城跡を東京近郊で楽しむ事ができます。これも保存会の皆さんの尽力のたまものだと思います。
浅野長政に攻められたという史実もあるようですので、これからもっとメジャーな城跡になることを祈っています♪
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知らないお城です。空堀がしっかり残っているんですね。
今の季節だと、蚊がいそうですね。
by ノリパ (2010-08-15 11:59)
ノリパさん、コメントありがとうございます。
ここは山城ではないんですが、夏のお城探索は平地のメジャーなお城以外はオススメしません、はい。。写真撮っていると虫が飛び回っているんです。
by fuzzy (2010-08-15 13:40)