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蒲生氏郷【毒殺説のある戦国武将を考える】 [蒲生氏郷]

今日はPHP文庫のマニア武将担当、佐竹申伍氏の「蒲生氏郷」をご紹介します。

蒲生氏郷が主役の小説はなかなかないですよねー。近江日野6万石の小領主蒲生賢秀の息子ながら織田信長の目にとまって娘婿になり、秀吉の時代になると妹が秀吉の側室となるなど、本人の意思と反しているかもしれませんが、第一権力者と着実に結びついていて会津92万石の大大名まで成長しました。(しかも息子の秀行は家康の娘婿。完璧です。。)

そんな氏郷は40歳という若さで文禄4年(1595年)に死んでしまうんです、歴史にタラレバはつきものですが、もし氏郷が長生きしていれば、秀吉の死後はもう少し変わった歴史になっていたかもしれませんね。

さて、若くして死んでしまった氏郷には毒殺説があります。一つは伊達政宗に毒殺されたという説。会津に移封した氏郷は奥州の一揆討伐に向かいますが、この一揆を裏で扇動していたのが伊達政宗で、邪魔な氏郷を毒殺したという説、二つ目は家康と姻戚関係となったことにより、これが豊臣家にとっての脅威になると考えた石田三成に毒殺されたという説もあります。どちらも噂らしいですが。。

そんな伊達政宗も実のお母さんに毒殺されそうになったりと、戦国時代に毒殺(説)はつきものです。

一番有名なのは加藤清正でしょうか。関ヶ原の合戦後も公然と豊臣家を支援しており、家康の一派に毒殺されたという噂があります。

他には、毛利元就の長男隆元も41歳という若さで突然死んだので毒殺の噂があります。島津家久は豊臣秀長、三好長慶の嫡男義興は松永久秀に毒殺されたと噂があります。

他にも毒殺の噂がある戦国武将をご存知でしたら教えてください。


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