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業政駆ける【追悼 火坂雅志氏】 [長野業政]

先月、大変残念なニュースがありました。。

火坂雅志さん死去 58歳、歴史小説「天地人」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG27H9V_X20C15A2CZ8000/

このブログでも、

真田三代【真田幸村の叔父さんの話】
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2012-11-26
墨染の鎧【恵瓊の見立てはえぇ~け~のぅ】
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2014-11-22

と、火坂氏の小説を取り上げています。氏の作家生活前半の小説はほとんど読んでいないのですが、「天地人」あたりからの主人公の土地の風土やそれが生み出す人柄、人間性を組み合わせた小説づくりによって氏の小説のオリジナリティが出てきたところだっただけに、残念でなりません。
少し前に「利休にたずねよ」の山本兼一氏もなくなっており(お二人ともまだ50代。。)これからまだまだ楽しみ
な作家を失ってしまった歴史小説業界であります。

そんな火坂氏への追悼の意を込めて今回は「業政駆ける」から長野業政を紹介します。
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長野業政(業正の方で知られていますかね?小説では業政なのでこちらを使っていきます)はfuzzyも好きな武将です。堅城箕輪城を本拠に「武田信玄に負けなかった武将」として、西上野を守り切りました。この西上野という地域において業政は決して有力な大名であったわけでなく、小規模の国人衆の盟主というポジションだったんですね。それは業政の人柄や知略のみならず、10人以上いた娘たちを国人達の嫁とすることで血縁関係を深め、西上野の弱小連合軍を結成し武田、北条と戦ったのです。

もう一つ。業政にはある有名な家臣がいました。「剣聖」といわれた上泉伊勢守信綱です。業政の死後、箕輪城が落城すると信綱は降伏します。信玄は自分の家臣にスカウトしましたが、信綱は断り、剣の腕を磨く旅に出ていきました。

業政は次のような遺言を残しました。
「私が死んだ後、一里塚と変わらないような墓を作れ。我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ。それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない」

業政の後を継いだのはまだ14歳の業盛。一度は信玄を撃退しますが、数年後信玄の猛攻の前に遺言通り降伏せずに箕輪城で自刃しました。19歳の若さでした。。

業盛も若いながらの優秀な武将だったようですが、実は業政には長男(吉業)がいたのですが、川越夜戦の時の傷が元で若死してしまったようです。もし吉業が生きていれば信玄を撃退できたか。。どうでしょう?

冒頭で書いたように“上州気質”と国人衆の団結を組み合わせて展開していきます。業政に世話になりながら敵の信玄の家臣となった真田幸隆、子だくさんの業正と生涯独身の上杉謙信が対比となって描かれているいい小説だと思います。もう新しい小説が読めないのが残念ですね。


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