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天地雷動【長篠の戦いのキーワードは“玉薬”】 [武田勝頼]

最近注目している歴史作家さんというと、今回ご紹介する「天地雷動」の作者、伊東潤氏であります。
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氏の経歴が面白く、もともとIBMやSAPといった大手IT企業にいたバリバリのビジネスマン出身。私はビジネスマン出身の作家さんは基本的に好きです。経済観点を持った小説が書けるから、同じビジネスマンとしてシンパシーを感じるのかもしれませんね。

で、今回の「天地雷動」。長篠の戦いがテーマの小説です。
長篠の戦いでなぜ勝頼が無謀な突撃をしたかについては以前このブログで解説しております。

歴史街道3月号【長篠の戦いの真実とは?】
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300935457-1

この小説のキーパースンとなる人物は羽柴秀吉です。秀吉は信長に3千張の鉄砲を揃えるように命じられます。このころの秀吉は長浜城主に命じられ、長浜城の築城をはじめ領国経営に力を入れていたので、本当に命じられたのかは定かではありませんが、十分考えられることです。

鉄砲をどうやって武田との戦いの期限までに揃えるか?ここに秀吉による製造のボトルネックの問題解決があったりしたのですが、この小説が面白いのは「玉薬(鉄砲を発射する火薬)をいかに確保するのか?そして武田家に持たせないようにするか?」というところに焦点が当たっている点です。鉄砲があっても玉と火薬がなくなってしまえばただの棒。。こういう経済観点が入っているのは氏がビジネスマン出身だからかもしれません。

勝頼、信長、家康の政治的思惑に秀吉の経済的要素、さらに宮下帯刀という架空の武田軍の現場の武士を出すことで鉄砲の飛び交う戦場のリアル感を出し、「24」のような緊迫した時間経過で進んでいくのがこの小説の面白いといわれる理由かもしれません。そして小説の最後、長篠の敗退がある人物によって仕組まれていたことが。。

長篠以降の話となる「武田家滅亡」も楽しみです!

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歴史街道3月号【長篠の戦いの真実とは?】 [武田勝頼]

現在発売中の歴史街道3月号には「長篠合戦の真実」という特集が組まれています。
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/
普段は人にフォーカスする特集なのですが、今回は合戦をめぐる人間模様という新しい試みとなっています。

さて、、
我々が学んでいる(?)長篠の戦いといえば、

「3千挺の鉄砲を揃えた織田信長・徳川家康の連合軍による3段撃ちに対して、兵数に劣る武田勝頼が無謀な突撃を繰り返すことで多くの有能な家臣を失い、武田家の滅亡へと導いた戦い」

という認識ですよね。これだけの情報だと勝頼はただのアホな武将ということになります。
今回の特集による合戦後の信長の心情としては「あらら、勝っちゃったんだ。ラッキー♪」といううれしい誤算で決して勝つべくして勝った戦いではないのです。

とにかく信長は武田が怖くてしょうがなかったんです。家康という壁を作っておいて、勝頼に攻められる家康から矢の様な援軍の催促が来ても「今ちょっと忙しいから」とのらりくらりとかわしていたのです。そのような状況に中で勝頼は長篠城を攻めてきました。長篠城の立地がポイントで長篠城は信長の領地尾張と家康の本拠地浜松の間にあり、この城が武田領になってしまうと、信長と家康の領地が分断されてしまう重要な拠点だったんです。さすがにヤバいと思ったのか信長は救援に向かいます。
ところが、信長は長篠城から4キロはなれた設楽原に柵を組み陣城という砦を築きました。信長は今のタイミングで勝頼と決戦をしたくなかったので、「勝頼が兵力の差を考えてこの陣地を見れば間違いなく退却するだろう」と考えたのです。信長としては長篠城の救援ができれば援軍としての役目を果たすことができるので、今は武田と戦いたくなというのが本心です。

一方の勝頼。長篠城の奥平貞昌は武田を裏切った相手だけになんとしても落城させたいところ。もう一息のところで信長の援軍が来ていることがわかります。「信長本人が出てきちゃったの!!!!!」ビックリの勝頼。もちろん信長と直接対決することになるとは夢にも思ってなかったので心も兵数の準備もできていません。「こりゃ、損害が多くなるけど退却するしかないな。」と考えた勝頼のところに「信長と家康はなんだか一生懸命柵を作っている」という情報が入ります。「ははぁん、さては信長は武田軍団を恐れてちぢこまってるんだな。それなら軽くビビらせてから退却しよう。」お互い誤算のまま、勝頼は設楽原に向かいます。

すると、まさかまさかの家康の家臣酒井忠次の襲により長篠城を包囲している武田軍を壊滅させます。勝頼の軽くビビらせるという思惑は外れ、囲まれてしまった勝頼は起死回生の策としてちぢこまっている信長・家康に本気で攻撃することで退却への活路を見出そうとして遮二無二突撃したのが真実ということです。また、佐久間信盛が裏切るという虚報の踊らされたという説もあります。

勝頼がアホだったわけではなく、戦いの流れの中で敗戦にいたった訳で現代人の勝頼の評価はあまりにも低すぎる
というのが本当のところでしょう。

ちなみに3千挺の鉄砲により3段撃ちを行ったということは、1千挺×3列に並ばせたことになりますが、設楽原の連合軍の陣地に真横に1千挺ならべるのは地形を考慮すると不可能だったのではというのが現代の説になっています。

もし勝頼が長篠城を落としていたら、、、もし鳥居強右衛門が援軍が来ることを長篠城の城兵に伝えなければ、、
歴史に「もし」はつきものですが、fuzzyは勝頼自身の武将としての能力は非常に高いものがあったと思いますが、お父さん偉大すぎたのと信玄の正室の子ではないため武田ではなく諏訪家の人間と周りの家臣や親族に思われていたのが運が悪かったのというべきでしょう。

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