歴史街道9月号 [片倉小十郎景綱]
今月の「歴史街道」の総力特集は伊達政宗と片倉小十郎です。片倉小十郎は、正宗の近侍として右目が疱瘡の毒で飛び出てしまい醜い顔となり、母親にも嫌われて引きこもりだった梵天丸(正宗の幼名)のこの右目をえぐり出してから、正宗の軍師として活躍します。正宗は小田原参陣まで奥州の覇者として強いイメージがありますが、人取橋の戦いも摺上原の戦いもけっこうどっちが勝ってもおかしくない戦をしているんですよね。(人取橋は明らかに兵力を考えると負け戦の可能性大でした)その両方の戦で活躍したのが小十郎景綱でした。この小十郎を気に入った秀吉は直江兼続の時と同じく、自分の陣営に引き込むために田村五万石を与えて誘いましたが、(もちろん?)断りました。その代わりといってはなんですが、秀吉からもらったものがあります。
「道中活火縄勝手」です。
なにこれ?って感じですが、これは火縄銃に点火したまま日本国内を往来してよいという許可書みたいなものです。小十郎の鉄砲隊の指揮のすばらしさに対しての秀吉の評価でした。これはありがたく頂戴したようです。
そのほかにも、白石城主となった小十郎は元和の一国一城令でも特例として存続を許されたりと、小十郎がいかにすんごい武将だったのかがわかります。
小田原に参陣した時、正宗は24才、小十郎は34才。この若い二人が老獪な秀吉相手に一歩も引かなかったことを考えると、もう少し早く生まれていれば歴史が変わっていたかもしれません。
この「小十郎」という名前は代々片倉家の通称として使われます。なので景綱の子供は小十郎重長と名乗ります。この重長なのですが、実は大阪の陣であの有名な武将と深くかかわることになります。それは次回へ。。
「道中活火縄勝手」です。
なにこれ?って感じですが、これは火縄銃に点火したまま日本国内を往来してよいという許可書みたいなものです。小十郎の鉄砲隊の指揮のすばらしさに対しての秀吉の評価でした。これはありがたく頂戴したようです。
そのほかにも、白石城主となった小十郎は元和の一国一城令でも特例として存続を許されたりと、小十郎がいかにすんごい武将だったのかがわかります。
小田原に参陣した時、正宗は24才、小十郎は34才。この若い二人が老獪な秀吉相手に一歩も引かなかったことを考えると、もう少し早く生まれていれば歴史が変わっていたかもしれません。
この「小十郎」という名前は代々片倉家の通称として使われます。なので景綱の子供は小十郎重長と名乗ります。この重長なのですが、実は大阪の陣であの有名な武将と深くかかわることになります。それは次回へ。。
こんにちわー。
政宗の右目に関しては最近失われたのではなく、隠していただけという説があり私も驚いています。
一つの証拠として瑞鳳殿再建の際に政宗の遺骨を鑑定したところ眼窩に異常が見られなかった、とあるからです。
オッドアイ(虹彩異色症:左右の瞳の色が違う)だったからなんて説も飛び出してきて今後の展開を楽しみにしています。
by Yubarimelon (2009-02-12 17:44)
Yubarimelonさん、コメントありがとうございます。
へーそうなんですか!!ちょっと驚きです!!
最近歴史の新説に関するテレビ番組もよくやっているのでこの説も取り上げられそうですね!
by fuzzy (2009-02-15 03:17)