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小説 大谷吉継 [大谷吉継]

今回は、、お待たせしました。大谷吉継です!
プロフィールの写真を見ていただいてお分かりのように、Fuzzyはかなりの吉継びいきです。
今回紹介する「小説 大谷吉継」はそんな吉継びいきにはたまらない小説です。
http://www.gakken.co.jp/m-bunko/200605/cul_182.html

織田信長に気に入られた吉継は、信長が好んで使っているため家臣が遠慮して使用していなかった蝶の家紋を使うことを許され、豊臣秀吉の小姓時代には、暴れん坊の市松(福島正則)や虎之助(加藤清正)でさえも紀之介(吉継の幼名)には頭が上がらず、秀吉には病気(ハンセン病)にかかった後も信頼され、関ヶ原の戦いでは徳川家康に最も恐れられた西軍の武将として、信長、秀吉、家康に評価された武将そして御存知の通り、石田三成との友情を重んじた義の武将として読み応えのある内容になっています。

さて、秀吉に「100万の兵を与えて、自由に指揮させたい」と賞された吉継ですが、出生地が諸説あったり、奥さんが誰だったかわからなかったりと謎な点が多くあります。また、賤ヶ岳の戦いで活躍しているのに、七本槍に入ってなかったり、刑部少輔を叙任されたのに五奉行に入っていなかったりと、病気のせいもあったかも知れませんが残念な気がしてなりません。。そんな吉継の名が後世に残ってファンが多いのはやはり、関ヶ原の戦いでの裏切り者の小早川秀秋に対する奮戦でしょうね。この関ヶ原の戦いは東軍西軍合わせて20万人が戦ったといわれていますが、大将級で戦死したのは吉継だけと思われます。その他有名な武将では石田三成の部下(島左近、蒲生郷舎、舞兵庫)、島津義弘の身代わりとなった島津豊久あたりでしょうか?ちょっと少ない気がしますよね。

Fuzzyが関ヶ原の奮戦同様に吉継を評価したい点は、前田利長を関ヶ原の戦いに参戦させなかった功績です。25,000もの大軍を率いて関ヶ原に向かっていた利長は吉継の流言による謀略で加賀に戻る結果となりました。これって徳川秀忠を上田城で食い止めた真田昌幸・幸村親子と匹敵するぐらいの活躍だと思うのですが、あまり知られていないようで残念。。

大谷吉継の小説は南原幹雄の「名将大谷刑部」のほかいくつかあり、若い頃の話は作者によって違うのでまた紹介しますね。

タグ:大谷吉継
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