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天地人展 [その他]

六本木のミッドタウンの中にあるサントリー美術館で5月末から開催していた「天地人展」行こう行こうと思いながらなかなかいけず、最終日の前日に駆け込んできました~。
HIMG0166.JPG

fuzzyと同じように駆け込み需要があったのか結構な混み具合で大盛況でした。
残念ながら“愛の前立”の鎧兜は「天地人」撮影で撮影で使われたレプリカした展示していませんでしたが、兼続や景勝所用と伝わる鎧兜が展示されていました。普段は米沢にある上杉博物館や新潟県立歴史博物館をはじめ、全国に行かないと見られない貴重なものが東京にいて見られるのはとってもいいことですよね。織田信長が上杉謙信に送ったとされる(天地人にも出てきましたね)国宝の「上杉本洛中洛外図屏風」も展示されてました。

それではfuzzyが気になった展示品を紹介~

・石田三成画像 前田幹雄筆
この肖像画は大阪城の天守閣にあるものなんですが、昭和55年に日本画家の前田幹雄氏によって描かれたものです。「なんだよ、最近の絵じゃ~ん」と思われた方。この絵はですねー、三成の墓と言われている墓から発掘した頭蓋骨の写真をもとに、石膏復元をしたものを描いたものなのです。この頭蓋骨が三成のものだとすると、世の中にある戦国武将の肖像画の中で最も似ているものかもしれませんね。

・鮫ヶ尾城出土おにぎり
なんのこっちゃ?と思いますよね。「天地人」に出てきた鮫ヶ尾城を覚えていらっしゃいますか?そーです。「御館の乱」で御館から北条領へ逃げるべく、上杉景虎が逃げ込んだ城です。結局城主の堀江宗親が裏切って城に火をつけ、景虎は自刃したんですね。その鮫ヶ尾城調査結果で、炭化したおにぎりが出土したのです。このおにぎりが景虎の“最後の晩餐”だったのかもしれません。
http://www.city.myoko.niigata.jp/guide_seikatu/sisetu/iseki/samegao.html#5

なかなかいい勉強になりました。
最後に会場で知った兼続に関するウンチクを一つ、、、

兼続は元和5年12月19日に江戸の上杉家の屋敷である鱗屋敷で死去したのですが、この鱗屋敷って建っていた場所が三角形で魚の鱗のようだったのでそう呼ばれたそうです。その場所は桜田門のまん前。。

おわかりになりましたか?

兼続が亡くなった鱗屋敷のあとには現在警視庁があるんです!義を重んじた武将の亡くなった場所に正義の警察が建っているのはなんとも不思議な因縁があるような気がしませんか?

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ノリパ

桜田門の前を通ったら、このウンチクを語りたくなりますね。
と言っても、いつ通るんだろ・・・
by ノリパ (2009-07-16 17:52) 

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