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天地人 第二十九回 [大道寺政繁]

今回の天地人。あっけなく小田原征伐がおわってしまいました。。

兼続、景勝は前田利家、真田昌幸と共に北国勢として、まずは松井田城を攻めました。松井田城の城主は大道寺政繁。この大道寺家というのは、北条家の宿老だったのですが、大道寺家が北条家に仕える一つのエピソードがあります。

話は(後)北条家の祖、北条早雲の時代までさかのぼります。当時京都にいた北条早雲(伊勢新九郎長氏)には6人の仲間がいたのですが、あるときこの7人の中で誰かが一国一城の主になった場合は、残りの6人はその人間の家臣になるという約束をしたんですね。その中で長氏は今川家の家督争いで功を立て、興国寺城主になったので、約束どおり仲間の6人は長氏の家臣になったのですが、その中に大道寺重時(政繁のおじいちゃんorひいおじいちゃん)がいて、それ以来大道寺家は北条家に家臣なのです。

そんな北条家との関係が深い政繁なのですが、降伏後に北国勢に加わり、北条方の城攻めに参加しました。そんな秀吉のためにがんばった政繁なのですがなんと、秀吉の命で切腹させられてしまいます。北条家の家臣で切腹を命じられたのは松田憲秀と政繁なんですね。確かに宿老なので責任を取らされたような気がしますが、なぜ切腹を命じられたのかはよくわかっていません。。あっさりと北条を裏切ったことが秀吉に嫌がられたという説もあります。

この前このブログで紹介した本間高統だけでなく、政繁も「花の慶次」に登場します。
http://www.shinchosha.co.jp/book/771461/

「天地人」ではいまだ慶次は出てきておりませんが。。

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