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戦国ニュース【山本勘助は実在していた】 [山本勘助]

武田二十四将の一人、山本勘助の実在がさらに証明される文書が見つかったらしいです。

いままでも山本勘助(菅助)と書かれた書状は見つかっていたのですが、勘助のしていた仕事(っていうんですかねぇ?)は明確ではなかったと思います。今回の書状は信州・伊那での活躍を賞したもので、調略を駆使していた我々の知っている軍師の勘助が実在していた可能性が高まったかもしれません。

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やっぱり山本勘助はいた? 群馬、存在示唆する書状
http://www.asahi.com/culture/update/0728/TKY200907280229.html

戦国武将・武田信玄の軍師として知られ、NHKの大河ドラマの主人公にもなった山本勘助。一般の知名度とはうらはらに、歴史学界では実在が疑問視されていた。だが、そんな勘助の存在を示唆する書状が群馬県で見つかった。

 同県安中市の市学習の森ふるさと学習館の佐野亨介学芸員らが昨年5月、市内の旧家で見つけた。山梨県立博物館の海老沼真治学芸員が調べたところ、使われている紙や書状の様式、筆遣いなどから16世紀後半~17世紀初頭のものと判明した。

 書状は武田信玄の花押(サイン)が入ったもの。2通あり、あて名は「山本菅介」「山本菅助」となっていた。

 「菅介」あての書状は、菅介の信州・伊那での活躍を賞し、百貫文を与えると述べている。「菅助」あては、信玄が菅助に宿老・小山田信有の病状を見てくるよう命じた内容だ。

 海老沼さんは書状について「『山本かんすけ』という人物が、大きな武功を立てて褒賞を受けたことや、信玄の側近的な地位にいて武略にかかわる職務に携わっていたことをうかがわせる」と指摘する。

 勘助は江戸時代の軍学書「甲陽軍鑑」に登場する。だが、この書は他の記録との矛盾が多く、他の史料にも名前が見あたらないため、歴史学者の間では勘助の実在を疑う声が強かった。「甲陽軍鑑」以外では、60年代に発見された武田信玄の書状に「山本菅助」の名が出ている。

 戦国時代の文書では異なる漢字を使った人名表記は珍しくない。山本勘助と同じ音を持つ武将が信玄の側近にいたことが明らかになったことで、これまで歴史学界で大勢を占めてきた非実在説は修正を迫られることになりそうだ。
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歴史は奥深いですね。。

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