戦国武将列伝2月号【黒田長政は賢将か愚将か?】 [黒田長政]
戦国武将列伝2月号に黒田長政の短編マンガが掲載されていました。
http://www.leed.com/act/Detail.do?id=13893-02
天才軍師黒田如水の息子らしからぬ猪突猛進型の武将で、後藤又兵衛に逃げられ、その又兵衛を他の武将が雇わないように手を回したりと必ずしも抜群に優れた武将としてのイメージがない長政ですが、優れた調略を見せた関ヶ原の戦いでの活躍の部分が描かれています。
とはいっても石田三成憎しで生まれたものかも知れませんが、石田方に組した毛利の配下である吉川広家から毛利の戦闘への不参加の約束や小早川秀秋の寝返りの約束も取り付けたりと事前工作に奔走しました。また、小山評定では豊臣家の事を考えている福島正則を焚きつけたりと関ヶ原の戦いの「陰のMVP」といえる活躍をしました。
関ヶ原の戦いの最中、徳川家康はなかなか裏切らない小早川秀秋のことが不安になり黒田長政の所に「ホントのホントに秀秋って裏切るんだよね???」という確認の使いを出しました。石田三成の本陣に向けて戦っていた長政は「そんなこと今更知ったことか!秀秋がもし裏切らなかったら、三成を討ってから討つまで!!」と家康に対しても怒ってしまうところが長政の人間性をうかがわせますね。
戦後、一番の武功として筑前福岡藩52万3,000石を与えられたのに、こっそり九州を席巻しようとした如水に怒られたりとかわいそうな長政ですが、天才軍師のお父さんの倍以上の所領を得られたことは評価してもいいと思います。
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天才軍師黒田如水の息子らしからぬ猪突猛進型の武将で、後藤又兵衛に逃げられ、その又兵衛を他の武将が雇わないように手を回したりと必ずしも抜群に優れた武将としてのイメージがない長政ですが、優れた調略を見せた関ヶ原の戦いでの活躍の部分が描かれています。
とはいっても石田三成憎しで生まれたものかも知れませんが、石田方に組した毛利の配下である吉川広家から毛利の戦闘への不参加の約束や小早川秀秋の寝返りの約束も取り付けたりと事前工作に奔走しました。また、小山評定では豊臣家の事を考えている福島正則を焚きつけたりと関ヶ原の戦いの「陰のMVP」といえる活躍をしました。
関ヶ原の戦いの最中、徳川家康はなかなか裏切らない小早川秀秋のことが不安になり黒田長政の所に「ホントのホントに秀秋って裏切るんだよね???」という確認の使いを出しました。石田三成の本陣に向けて戦っていた長政は「そんなこと今更知ったことか!秀秋がもし裏切らなかったら、三成を討ってから討つまで!!」と家康に対しても怒ってしまうところが長政の人間性をうかがわせますね。
戦後、一番の武功として筑前福岡藩52万3,000石を与えられたのに、こっそり九州を席巻しようとした如水に怒られたりとかわいそうな長政ですが、天才軍師のお父さんの倍以上の所領を得られたことは評価してもいいと思います。
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黒田長政は関ヶ原では十分な働きをした武将です、評価されても良いのでは、まあ父の如水と比較されてしまうので、辛い部分はありますね。
by fuzzy (2010-01-10 18:41)
確かに後藤又兵衛のことでは、大人げない感じがしますね。でも、大人げ
ないから52万石の太守になれたのかも、と思ってしまいます。
頭が切れすぎるお父さんは、豊前半国ですから。
それがしも、もっと評価されてもよい、と思います。
福岡在住なので、エコひいきしちゃいます。
by ノリパ (2010-01-16 17:25)
fuzzyさん、ノリパさんコメントありがとうございます。
すいません、平日はPCをあまり開かない生活を送っているので返事が遅くなりました。。。
お父さんが偉大すぎましたからね。。同じ軍師として秀吉を支えた竹中半兵衛の子の重門が大大名になっていないことを考えれば長政は成功してますよね。
by fuzzy (2010-01-17 01:03)