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千姫微笑【大坂落城後の千姫の人生は?】 [千姫]

ちょっと忙しくて久々のブログです。
今回はこのブログで二人目の女性になります「千姫」を御紹介します。

「千姫微笑」という安西篤子の小説があるのですが、まぁあんまり男性は読まないでしょうねぇ。。

千姫は徳川家康の孫で、息子徳川秀忠と来年の大河ドラマの主人公であるお江の娘になります。お江は浅井長政と織田信長の妹お市の3女。戦国時代の超一流の良血馬(馬じゃないか)ですな。そして、だんなさんが豊臣秀頼。
なんと7才の時に秀頼に嫁入りします。これは豊臣秀吉と家康が生前取り決めていたものを家康が守った形となります。

千姫は大坂城でいわば人質として過ごしていましたが、家康は秀頼の大坂城を攻めます。
千姫は落城寸前に助けられました。このときまだ19才。。

と、ここまでは皆さんも御存知だと思いますが、その後の千姫の人生は御存知ですか???

千姫は大坂落城後すぐに別のところに嫁入りします。嫁ぎ先は本多忠刻。忠刻は徳川四天王の一人である勇将本多忠勝の孫にあたります。しかも超イケメンで有名。大坂落城でつらい思いをした千姫にとってよい縁談でした。

伊勢の桑名の嫁いだ千姫はその後移封により姫路に向かいます。長女、長男が生ま、幸せな日々を過ごしていましたが、悲しい運命が待っていました。なんと長男がわずか3才で死んでしまうんですね。。さらに元々忠刻は体が丈夫ではなく、ちょっと無理をするとすぐに何ヶ月も倒れてしまっていたのですが、とうとう亡くなってしまいます。実は忠刻がなくなった日は大坂落城の前日=元夫の秀頼が自決する前日(しかも10年後)だったんですね。

これで千姫には秀頼に呪われているとの噂が立つようになります。さらに、忠刻のお母さん(姑さんですね)、実母のお江と立て続けに亡くなり、秀頼の呪いの噂はさらに広まりました。忠刻が死んだとき千姫はまだ29才ですよ。。

その後、千姫は江戸に戻り70才まで生きました。

さて「千姫事件」というのがあるんですが、これは坂崎出羽守直盛という武将が本多忠刻に嫁入りする千姫を強奪しようとした事件なんです。で、この坂崎出羽守直盛というのは改名した名前で元の名前は宇喜多詮家といいます。

ん?五大老宇喜多秀家の親戚ですかね?

次回は坂崎出羽守直盛と千姫事件を解説します。

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コメント 3

fuzzy

戦国期、歴史に翻弄された悲劇の女性は多く存在しますが、千姫はその最後を飾った女性だと感じます。坂崎出羽守の話楽しみにしています。
by fuzzy (2010-04-18 11:37) 

Tommy

次回を楽しみにしています。
by Tommy (2010-04-22 17:13) 

ノリパ

そうだ、来年の大河は3人姉妹のお話ですよね。それとも、誰かに焦点
を当てるんですかね。コレも興味が尽きません。
by ノリパ (2010-04-25 19:37) 

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