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謀将 北条早雲【北条早雲?そんな人いません】 [北条早雲]

今回はちょ~といつもの戦国時代より時代を遡って、南原幹雄の「謀将 北条早雲」を紹介します。

北条早雲は皆さん御存知の通り、「下克上の元祖」ということで、50才過ぎまで素浪人で、今川家の家督争いをまとめてから90才近くまでの間に伊豆、相模の戦国大名へと成り上がった人物として知られていますが、最近は研究が進んでいろいろと明らかになってきています。「謀将 北条早雲」は2002年に発刊されたもので、最近の説に沿って話しが進行しているとてもよい小説だと思います。以前「謀将 山本勘助」をご紹介した際に、突飛な発想にびっくりしてしまいましたが、南原先生すいません。。「謀将シリーズ」は全部あんな感じだと思ってました。。。

まず、この小説には北条の「ほ」の字も出てきません。終始伊勢新九郎盛時(出家して早雲庵宗瑞)です。北条(後北条)を名乗るのは早雲の長男、氏綱の代からであって「北条早雲」というのは後の人が北条家の初代として便宜上つけたもので、本人もそんな名前で後世に伝わっているとは全く知らないでしょう。

【出自について】
だいたいがもって素浪人のお姉ちゃんが大大名の今川家の当主の側室(現在は正室説が強い)になるのはさすがに厳しいでしょう。現在は早雲のお父さんの伊勢盛定は備中国荏原荘の領主で足利幕府の有力のポジションにいたことがわかってきており、同じく早雲も幕臣であったことがわかってきています。これなら釣り合いが取れてますのもね。

今川の家督争いはおねえちゃんのダンナ今川義忠が勝ち戦の帰りなのに討たれてしまったところから始まります。義忠には竜王丸という子供がいたのですが、義忠のいとこの小鹿範満が竜王丸が子供という理由で今川家の実権を握ります。そこでおねえちゃんは早雲に相談します。早雲は幕臣としてもコネを生かして将軍から竜王丸が15才になったら今川家を相続させるという御教書をもらってきましたが、竜王丸が15才になっても範満は約束を守らなかったので早雲は範満を攻めて殺し、竜王丸を当主にしました。その功で興国寺の城主となり、早雲のサクセスストーリーが始まります。ちなみに竜王丸は元服して氏親と名乗ります。氏親の子供が桶狭間で信長に敗れた義元です。

その後、堀越公方の足利茶々丸の討伐、小田原城攻め、三浦半島の征服と伊豆、相模に着々と勢力を拡大していきます。小説では小田原城攻めには有名な牛を使った城攻めを用いています。これは本当なんですかねぇ?

早雲はいままで88才で死んだとされていますが、現在は64才説が有力です。

素浪人から伊豆・相模二国の大名になるという下克上ストーリーはどうやら後世で作られた話というのが明らかになってきています。でも北条家がすごいのは早雲がピークではないところです。氏綱・氏康・氏政・氏直と武蔵をはじめ関東に勢力をどんどん拡大していった点はすばらしい戦国大名だと思います。早雲の行った四公六民などのよい政策と兄弟が仲たがいをしなかったのが北条の勢力を拡大していった理由と思われます。

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fuzzy

早雲は斎藤道三、豊臣秀吉と並んでジャパニーズドリームとして親しまれていますね、最近は研究が進むと現実的な人間像が浮き彫りにされ小説で通説のように受け取っていたものが崩れ去っていきますね。関東に覇を成した北条氏、私には興味深く好きな存在です。
by fuzzy (2010-05-01 16:13) 

fuzzy

fuzzyさん、コメントありがとうございます。
あ、北条氏照の本を本屋で発見しました。今までにない視点が非常に面白そうですね。是非このブログでも紹介したいです。

by fuzzy (2010-05-02 00:23) 

ノリパ

意外とイイ所の血筋なんですね。岐阜県出身なんで、道三公と秀吉公の
立身出世物語は小さい時から聞かさせてました。北条さんは、小さい時
はほとんど知らなかったです・・・
by ノリパ (2010-05-08 21:35) 

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