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歴史街道6月号【桶狭間奇襲のウソ!?】 [合戦]

先週忙しくてブログの更新ができなかったため、2週間ぶりになります~
もう書店には7月号が並んでいますが、歴史街道の6月号の特集は桶狭間の戦いでした。
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/?unique_issue_id=84266

ちょっと前に長篠の戦いの検証もしていましたので、最近の歴史街道は「合戦の真実」という新しいネタで攻めています。今回もかなり面白いんですよ。

私達の知っている桶狭間の戦いは、、、、

・今川義元が上洛を目指して尾張に出陣
・義元は窪地で休息
・信長は戦場を迂回し、側面から義元を奇襲

ですよね?

実はこの全てが間違っている可能性が高くなってきました。
ほ~ら、興味深いでしょ?

じゃ、なんで私達は桶狭間の戦いは上記のようだったと習っているかというと、この桶狭間の状況は、明治時代に参謀本部が編纂した日本の戦いに関する資料が元になっているからです。ただこの資料は信憑性が低い資料を基にして作られたものであるため、信憑性が高いとされている太田牛一の「信長公記」を見るとちょっと違っているんですね。

【今川義元が上洛を目指して尾張に出陣】
この根拠の資料が実はないのです。将軍の足利義輝からの上洛依頼があった訳でもなく、仮に尾張を制圧したとしても、美濃の斉藤、近江の六角と強大な大名がおり一気に上洛するのは難しく、かつそれらの大名に対して連絡を取ったという資料もないので、あわよくば尾張の制圧を目標とした大高城付近の完全制圧を目的とした出陣だったのではないかという新説が出ています。

【義元は窪地で休息】
「信長公記」には「おけはざま山に人馬の息を休め」という記載があるんです。ということは義元は山の上にいたことになるんです。ただこの“おけはざま山”がどこかははっきりしていないらしいです。

【信長は戦場を迂回し、側面から義元を奇襲】
信長は中島砦から義元の本陣へ正面攻撃をしたという新説が出ています。で、その時に暴風雨が後押ししたと。

この特集では有名な小和田和男教授をはじめ、4人の識者による説があり、必ずしも一致していない点があるのですが、それぞれ説得力があるような気がします。
このブログで全てを紹介できないのは残念ですが、興味がありましたらバックナンバーをお読みください。

そのうち、歴史の教科書の内容が昔と変わってくるかもしれませんね。

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fuzzy

桶狭間の戦いは一般的に伝わる話ではないような感じですね、慢心していた今川軍に対し織田軍は正攻法の攻撃を仕掛けたようであるらしく興味は尽きないですね。
by fuzzy (2010-06-15 15:09) 

fuzzy

fuzzyさん、ありがとうございます。まだまだいろいろな戦いの新説が出てきそうです。いや~戦国時代は興味が尽きません。

by fuzzy (2010-06-16 01:01) 

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