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福山城訪問記【10万石には過ぎたる大層立派な天守閣】 [城-広島県]

お待たせしました!
昨夏の和歌山城以来の天守閣にある城、日本100名城第71番、広島県にある福山城を御紹介します!!いや~先週の明石城に続いて豪華になってきました♪

福山城は明石城よりも駅の近くにあります。福山駅は福山城の三の丸や内堀・外堀の一部を埋め立てた跡に建てられているんです。これ、ちょっと覚えておいてください。あとで出てきますんで。

まずは福山駅で最も城に近い、福塩線のホームから城を眺めます。

駅から道を挟んですぐお城になります。

ホントに近い。。

本丸に入るには伏見櫓を左に見ながら、筋金御門を通ります。
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実はこの櫓と門は築城の際に伏見城から移築され、戦災からも逃れて現存している建物で重要文化財に指定されています。この伏見櫓がホントの福山城の見所になります。伏見櫓は3層で高さは13.5メートル。この高さは皆さん御存知の現存12天守と比較しても丸岡城(12.6メートル)、備中松山城(11メートル)の天守閣より高い櫓なんですね。どうしても現存している建物というと天守閣が注目されますが、この伏見櫓しかり、熊本城の宇土櫓しかり(まぁ、もともと宇土城の天守閣だったと言われてますけど)、現存している立派な櫓にも注目したいところです。

それでは動画でご一緒に筋金御門から入城しましょう!

まずは天守閣。いや~立派×2。10万石の天守閣ですよ。信じられない規模です。
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天守閣の中の博物館の展示品は小学校の頃来たときと変わっていないような。。まぁいいや。
天守閣からの眺めを動画でどうぞ。

福山駅と市外を一望できます。右奥の方向が足利15代将軍の義昭が織田信長に追放された後、毛利氏を頼って滞在していた鞆の浦方面になります。

福山城の本丸は現存する建物以外にも再建されている建物が多いのが特徴です。

まずは、鏡櫓。明治時代の廃城の際に取り壊されましたが、現在は福山城博物館の文書館として外見復原されています。
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ん?なんか左端の木になんか書いていたような???
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さすが、市民の憩いの場ともなると本丸で歌を歌ってもよいようです。ホゲェ~♪(ジャイアンの歌声)

次に駅からも見える月見櫓です。この櫓も伏見櫓と同様に伏見城から移築されたと言われています。この櫓は明治時代に取り壊されましたが、外見復原されています。
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月見櫓と筋鉄御門の間にあるのが御湯殿です。名前の通りお風呂があったようです。
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御湯殿もまたまた伏見城にあった豊臣秀吉の居館を移築したもので戦前は国宝に指定されていたのですが、戦災により焼失。その後復原されました。

最後に本丸西側にある鐘櫓。この櫓も現存といえば現存のようなのですが、なんでも元々どういう形だったかわからないほど改築に改築を重ねてボロボロの状態だったものを再建したそうです。
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本丸御殿(伏見御殿)の跡
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一通り本丸内の紹介が終わったところで、福山城の歴史をまとめてみましょう。

福山城の歴史は新しい(?)のです。
1619年(元和5年)に安芸備後の領主福島正則が改易されたため、水野勝成が備後10万石の領主となりました。
おっと、勝成に関してはこのブログでも紹介していますので、ご参考になさってください。
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301022878-1
そうなんです、勝成は徳川家康のいとこにあたるんです。明石城同様に西国の外様大名の監視のために譜代大名を備後の地に配置したんですね。勝成は備後神辺城の入城しましたが、内陸部であったため、海側に近い今の福山の地に新城を築くことしました。世の中は既に一国一城令が発令されており、その中で新しいお城を築くというのはよっぽど福山の地を幕府が重要視したんでしょうね。伏見城の遺構をくれるだけでなく、幕府はお金まで貸し出しています。そして1622年に超リッチな天守閣を持つ福山城は完成します。同等の天守閣の規模を持つ岡山藩が31万5千石、広島藩が42万6千石ということを考えると、10万石には過ぎたる天守閣ということになりますね。

その後、明治時代となっても天守閣は取り壊されずに国宝に指定されたのですが、太平洋戦争時の空襲で焼失してしまいます。。そして1966年(昭和41年)に外観復元されました。

外見復元しているといいますが、実は全然違います。昔はもっとでっぷりとしていた天守閣だったんです。
↓戦前の福山城の非常に参考になるホームページがあります
http://sound.jp/fushimi-town/history/castle/castle.htm

また、天守閣の北側は砲撃対策として鉄板が貼られていたので真っ黒でした(ちょっと不気味ですが)。美観を大切にしたと思われますが、せめて外観だけでも忠実に再現していればと思うのですがちょっと残念ですね。福山城が城好きの話題に上がらないのはこういった理由があるのかもしれません。。

実は山陽道は姫路城、岡山城、福山城、広島城と戦前まで多くの天守閣が現存していました。姫路城以外は空襲で焼失(広島城はご存知の通り原爆)しており、本当に残念でなりません。

二の丸にある、水野勝成の像
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黒船来航時の老中だった阿部正弘は福山藩の藩主でした。正弘の像もあります。
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移築された旧内藤家の長屋門
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近くの商業ビルからの全景
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伏見櫓は新幹線のホームから見るのが一番です。
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最後の動画です。


さて、、、

福山城がちょっと前に注目されていたんです。福山駅の南側に地下送迎場を作っていたのですが、ここはもともと福山城の三の丸城内。案の定、御水門や舟入状遺構などの貴重な遺構が出土したのですが、当初福山市は遺構を破壊して工事を進める予定だったのですが、市民からの反対署名運動もあり、現状保存に方向転換されました。お城を大切にしてる福山の皆さんの祈りが通じたとてもよい話だと思います。

工事をしている南口
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地下送迎場、7月供用開始へ
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201008260020.html

天守閣の外観復元の是非はありますが、本丸内にこれだけの櫓が復元されているお城はそんなにないと思います。そして現存する伏見櫓。在りし日の伏見城をイメージできるこの櫓は必見です。
(新幹線のホームからでも見られますしね。)

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ノリパ

伏見櫓はしたから見にくかった思い出があります。ホームからだと見やすい
んですね。。。
by ノリパ (2010-09-07 06:01) 

fuzzy

ノリパさん、コメントありがとうございます♪
伏見櫓は三層で大きいですからね。山陽道は福山城だけでなく三原城もお城と鉄道がスレスレです。
by fuzzy (2010-09-09 00:10) 

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