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戦国ニュース【先日紹介した鳥羽城の残念な話。。】 [その他]

先日このブログで紹介した、大雨で露出した鳥羽城跡の石垣が残念ながら撤去されることになりました。無念。。。

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鳥羽城跡:出土石垣、保存困難で撤去へ 市教委「江戸時代構築」断定 /三重
http://mainichi.jp/area/mie/news/20110622ddlk24040259000c.html

鳥羽市の県指定史跡・鳥羽城跡(標高39・8メートル)頂上部の崩落現場から出土した石垣について、同市教委は崩落土砂の中に藩主の九鬼、稲垣両氏の家紋の入った瓦が含まれていたため「江戸時代に築かれた石垣」と断定した。急斜面に築かれた石垣は現場保存が困難として、近く落下させて撤去する方針を示した。

 同市教委によると、頂上部の土砂崩れは5月29日に発生し、未確認の乱積みの石垣が見つかった。現場は海に面した本丸西側の急斜面で、鳥羽城を描いた古絵図に照らし合わせたところ、明治期の廃城以降に埋没した石垣と分かった。

 石垣は高さ3・5メートル、幅3メートル、4段が残っており、乱積みの石は計10個あった。下部には石の抜け落ちた穴や一部石が残っていたことから、崩落現場には高さ約5メートル、幅7~8メートル、5~6段の石垣があったと見られ、石は落下していた5個と合わせ計20個が確認された。石材は鳥羽周辺で採取されるカンラン岩や蛇紋岩で、他に築かれた石垣と同じ材質だった。

 崩落土砂の中に、鳥羽城を築いた九鬼嘉隆と守隆親子や江戸時代中期(1875年)から明治の廃城まで城主だった稲垣氏の瓦が見つかった。石垣の積み方が乱積みであるため、市教委は「江戸時代に築かれた石垣に間違いない」としている。

 石垣を撤去することについて市教委は、見つかった現場は崩れかかっており、2次災害の危険性が高いと判断した。斜面下には近鉄志摩線が走っているため、電車運行のない24日未明に真下に積み上げた土のうに石を落下させて撤去する。

 豊田祥三文化財専門員は「石垣の現場保存は難しく、撤去することにした。謎の多い鳥羽城の解明に向け、今年度本丸跡の発掘調査に着手したい」と話している。【林一茂】
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鳥羽城は大手門が海に面しているという珍しいお城でさすが「海将の城」というべき城なんで一度は訪問したいと思います。ちなみにこの一連の記事は毎日新聞だけが記事にしているんです。鳥羽地域にとって大きいニュースのような気がしますが、他の支局や地方紙の記者は何をしてるんでしょうか??ある意味、特オチ*ですよ~
*特オチの意味は以下をどうぞ♪
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E3%82%AA%E3%83%81

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タグ:鳥羽城
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