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歴史街道9月号【大阪夏の陣の技能賞は誰?】 [毛利勝永]

今月の歴史街道は大阪夏の陣の特集です。
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/
なんでも4年後に大阪夏の陣から400年を迎えるので、それに合わせて夏の陣(真田幸村?)を題材にした大河ドラマ化を目指しているらしいです。

さて、「大阪の陣」といえば「どーせ真田幸村や後藤又兵衛の事でしょ」と思っていたのですが、どうも読んでみると今回の推しメンは毛利勝永のような感じがしました。というわけで今回は大阪側の“技能賞”毛利勝永をご紹介します!

勝永は毛利という名がついていますが、中国地方の毛利とは関係ありません。もともと森という名前だったのですが、毛利にあやかって秀吉の命で改名したようです。
お父さんの勝信は豊臣秀吉の古くからの家臣で豊前小倉6万石の大名でした。そういった関係で勝信と勝永は関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、改易され親子とも山内一豊のもとに預けられました。

一豊と勝信は古くからの秀吉の家臣という間柄であったため、毛利親子は家臣として厚遇されましたが勝信の死後、豊臣秀頼の誘いに応じて土佐を脱出し、大阪城に入城しました。

冬の陣は大きな活躍をしてませんが、夏の陣では真田幸村、後藤又兵衛と共に道明寺で関東方を迎え撃つ予定が、先発した又兵衛の部隊に幸村、勝永の部隊が濃霧のために間に合わず単独で戦った又兵衛は戦死、幸村と勝永は翌日の決戦に向けて退却しました。

幸村と勝永の立てた作戦は、勝永が敵を引きつけることによって家康の本陣との間に空いたスペースを狙って幸村が一気に家康の首を狙うというものです。

翌日の戦い、勝永は前面の本多忠勝の次男忠朝を撃ち取り、さらに関東方を攻めます。防戦一方の関東方に、狙い通り家康の本陣の前にスペースができ、幸村が突撃!残念ながらご存知のように幸村は家康追いつめるも届かず、打ち取られてしまいました。。

その頃勝永は、、、まだ関東方と互角の勝負をしてましたが、幸村討ち取った関東方が勝永への攻めを集中させますが、なんと勝永は他の武将と異なり、無事大阪城まで引き揚げてきてるんです。その後、勝永は燃える大阪城で秀頼を介錯をして、自刃しました。。

「惜しいかな後世、真田を云いて、毛利を云わず」

ということばがあるらしいのですが、幸村は「真田十勇士」等の講談などで後世に人気が出てしまったため、勝永ももっと評価されてもよいのではないかという内容のようです。

確かに幸村のひきたて役になってしまった感はありますよね、、しかし勝永は前出の本多忠朝だけでなく、小笠原秀政に重傷を負わすなど、大名クラスを撃破するものすごい戦いをしていたのです。あまり知られていないですよね。しかも無事大阪城に戻ってきているし。。

fuzzyは勝永に大阪夏の陣の「技能賞」を与えたいと思います~


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ノリパ

なるほど、真田ファンなんで毛利殿をあまり知らなかったです。
勉強になりました。大阪夏の陣の大河ですか、どんなになるのか興味
ありますね。
by ノリパ (2011-08-27 13:22) 

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