SSブログ
村上武吉 ブログトップ

秀吉と武吉【あなたの周りの村上さん】 [村上武吉]

皆さんは朝の連ドラ「てっぱん」はご覧になってますか?

このドラマは、主人公のあかりちゃんが生まれ育ち、(育ての)両親の遠藤憲一と安田成美が住んでいる尾道の向かい側にある向島が舞台なんですが、この一家の名字は「村上」っていうのです。「瀬戸内の村上さんということは村上水軍の末裔か??」と思った人はかなりの戦国通♪

と、いうわけで今回は城山三郎の小説「秀吉と武吉」から村上水軍の頭領、村上武吉についてのブログで~す。

「村上水軍」とは聞えがいいんですが、もともとは海賊です。瀬戸内海を通る船を襲っていたのですが、そのうち海賊から瀬戸内海を通る船の安全を保証するための帆別銭という通行税をとって生業としていたんですね。

そんな村上水軍の名前が有名になるのが、あの「厳島の戦い」。村上水軍が毛利側についたことで兵数が明らかに少なかった毛利軍は大勝、その後村上武吉は毛利家のあくまでも“客将”として活躍しました。特に武吉は小早川隆景とは時に敵対しながらも堅固な信頼関係築いてました。

そんな毛利家に織田の勢力が忍び寄ってきます。。

村上水軍は同盟している本願寺に兵糧を支援するため、一度は織田の水軍に勝利したのですが、九鬼嘉隆に作らせた鉄甲船により大敗してしまいます。。その後も羽柴秀吉によって中国攻めが続く中で親戚筋の来島村上家が織田方に裏切り、来島を立ち去ったため来島を占拠。このあたりから村上家に暗雲が立ち込めます。。

本能寺の変後、秀吉と毛利が講和すると、秀吉と隆景は急速に接近します。その中で秀吉は「来島を来島村上家に返せ」と命令します。断固拒否する武吉。しかし頼るべき隆景は秀吉側になりつつあり、海賊禁止令を出した秀吉により、武吉は本拠の能島から退去されられ、瀬戸内海から離れた長門や豊前に配流されました。

秀吉や楽市楽座をやった信長は自由経済主義者なので、通行税をとる村上家の行動は自由経済を妨げるものであったし、村上家としはおまんまくいっぱぐれる訳ですから、これはお互い相容れなかったでしょうね。しかも秀吉は四国攻め、九州攻め、そして朝鮮への出兵を考えると瀬戸内海をスムーズに船を通すために武吉は邪魔だったんでしょうね。。

そのまま、村上水軍は朽ち果てるのか、、、と思ったことに秀吉が亡くなります。

武吉はこっそり瀬戸内海に戻ってきて、村上水軍は毛利輝元のもとで西軍として働くことになります。
関ヶ原の戦いのタイミングで関ヶ原以外では東北で上杉景勝と伊達政宗、九州で黒田官兵衛が暗躍と、日本各地で戦いがあったなかで、毛利は安芸から伊予の加藤嘉明の領地に攻め込みます。
嘉明は関ヶ原の戦いに行っており、兵も少なく楽に攻められると思ったのか、油断したところを夜襲され武吉の長男は戦死します。。。

関ヶ原は西軍が負け、徳川家康にこの伊予攻めを咎められた毛利輝元は周防、長門に減封されてしまい、村上家も一緒に瀬戸内海の外れに移り、その後1604年に武吉は亡くなります。

実はお正月にドラマ「官僚たちの夏」を一気にDVDで見たのですが、城山三郎の経済小説は題材が非常に面白いと思います。(映像でしたが。。)そんな城山三郎が数少ない戦国モノ小説の題材として選んだ村上武吉の人生は九鬼嘉隆と並んで(嘉隆は徳川家康とモメました)2大海賊大名としての男気が感じられるような気がします。

あなたの周りの村上さんも瀬戸内海沿岸の出身の方でしたら村上水軍の末裔かもしれませんね。

戦国時代ブログランキング参加中!勉強になったという方は応援のクリックをお願いします!!

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村


nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
村上武吉 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。