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大阪城炎上 [大野治長]

久々のブログ更新となりました。ちょっと忙しくて。。

今回は早乙女貢の「大阪城炎上」を紹介します。
物語は片桐且元が出奔するとことから始まりますが、あまり長くない小説なので、若干駆け足的な内容になっているんですよね。夏の陣は60ページぐらいのボリュームなのでもう少し長くても、、という感じでした。その反面、冬の陣の緒戦となる、堺を攻めた戦いや同じく冬の陣での淀川河口での海戦など、メジャーでない戦いも描写されています。勉強になります。

そんな大阪の陣ですが、要所要所でこの人のダメっぷりが発揮されているんですよね。そうです、今回の主役の大野治長です。どちらかというのこのブログでは好きな武将を取り上げてきたのですが、今回は嫌いな武将のベスト3に入るであろうこの人にフォーカスを当てます。(アクセス数が少なそうですが。。)

このブログの読者のみなさんは御存知の通り、とにかくまぁ、真田幸村、後藤又兵衛といった歴戦の将の提案をこの人はことごとく却下していくのですよね。徳川家康が攻めて来る前に伏見城を攻めて、京を押さえ、宇治・瀬田で対陣すべくという提案を「古来、宇治・瀬田に兵をおいて勝ったためしがない」と一蹴(源平の頃からそういわれるとそうなんですけどね。)、大阪に近づいてきた家康に奈良と大阪の県境の峠を越えるときに奇襲をしかけようという提案には「秀吉のご威光の元で正々堂々と勝負すべき」と一蹴(石田三成も関ヶ原の戦いでこんなこと言っていたような。。)、挙句の果てに幸村の兄の信幸が徳川方にいるため、内通を疑う始末。。淀君の乳母である大蔵卿局の子という立場で何もできないのにえらそうにして、結果的に豊臣家を滅ぼすことになったダメ武将って感じですよね。

そんな治長ですが、実は家康とそんなに悪い関係ではなかったんです。秀吉の死後、治長は家康暗殺を謀った一人として配流されるのですが、その罪を償うためになんと福島正則麾下の東軍側で宇喜多秀家を攻めています。そして軍功を得て家康から旗本に取り立てられているのです。これは私も知りませんでした。その後、乳兄弟の淀姫がいる大阪城に入ります。

もしかしたら思っていたより武将としても優秀でそのプライドが邪魔したのかもしれませんね。
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