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戦国武将列伝12月号 [岡部元信]

先週、戦国武将列伝12月号が発売されています。
http://www.leed.com/act/Detail.do?id=13893-12

今月からは永井豪(マジンガーZとかデビルマンの作者)による、武田信玄の漫画が始まりました。前回の同氏による「前田利家」は歴史好きががっかりするようなフィクション漫画であったため、もう少し史実に基づいた内容にしてほしいところです。はい。

さて、連載物が多くなっているこの雑誌でも私が好きなのは相変わらずマニアックな武将を題材にした一話読みきり物です。
今月号は、、、

「岡部元信」です!

また、マニアックば武将ですなー。だいたいマニアックな武将が題材の場合はある一つの戦いを題材にしています。岡部元信の場合は高天神城の守将としての攻防戦です。

と、その前に岡部元信のそれまでの人生を紹介。岡部元信は今川義元の家臣で、桶狭間の戦いの時は鳴海城(Nishiさん、鳴海城です!)の守将でした。そして桶狭間の戦いで義元が討たれると孤立無援で戦っていましたが頑強に抵抗したために、織田信長も討つことをあきらめ、義元の首と引き換えに開城して駿府への帰途に着きました。で、普通なら兵も少なく負け戦あの急いで戻るところですが、元信は帰る途中にある織田方の刈谷城を攻めて城を焼き払い、義元の弔い合戦をして悠々と義元の首を持ち帰った勇将なんです。そんな元信は今川家の没落とともに武田家に仕えます。その後、武田家は勝頼の代になって信玄が奪うことができなかった高天神城を奪取し、元信は勝頼から期待され、徳川との争いの間にあるその重要拠点の守将となります。

ところが長篠の戦いに武田が負けると武田方の旗色が悪くなり、攻撃対象となった高天神城は徳川方に6つの砦で囲まれ兵糧攻めにあいます。武田勝頼は救援に向かいましたが、その途中徳川軍と徳川と同盟した北条氏政との連合軍の待ち伏せにあい救援に向かうことが出来ませんでした。高天神城では餓死者や逃亡者が相次ぎ、結局城を打って出た岡部元信は討ち死にし、落城しました。

この漫画によると、桶狭間の戦いの時に織田信長が討つことができなかった元信の首を討ち取った家康は、信長に自慢するかのように元信の首を送ったとのこと。

桶狭間の戦いや義元のダメ息子の氏真のイメージが強いため、今川軍の強さに疑問がつきますが、元信のような武将がいたことが今川軍の強さの証明かもしれませんね。

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コメント 2

Nishi

こ・・・・・これは鳴海城行ってみなければ!!


実は、桶狭間の戦い関係で有名どころとしては大高城も鷲津砦も丸根砦も横まで行ったことがあるのに、沓掛城も行ったことがあるのに、鳴海城だけ行ってないんです・・・・・。


年内目処でレポートするかも・・・・・。


ところで、刈谷城あとは現在見事な桜の名所です。亀城公園っていいます。
by Nishi (2008-11-04 21:01) 

fuzzy

Nishiさんありがとうございます。おっしゃっていたように近くにいっぱい歴史に登場するお城がありそうですね。レポート期待しています!

by fuzzy (2008-11-07 00:08) 

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