菅谷館訪問記 [城]
今回のお城訪問記は埼玉にある「菅谷館」です。
前回の鉢形城はかろうじて建物がありましたが、とうとう建物のないお城の紹介です。。
このお城(館?)は源平の時代に畠山重忠(一ノ谷の戦いで鵯越を馬を担いで駆け下りたことで有名)の館があった場所に、戦国時代になって山内上杉家が対扇谷上杉の拠点としてお城として拡張されました。
現在このお城は本郭を中心に二ノ郭、三ノ郭など空堀土塁がよく残っており、国の史跡に指定されているんです。
本郭の入り口はこんな感じになっています。結構高い土塁で囲まれています。
本郭の内側はこんな形で東西約150m、南北約60mの長方形をしています。結構広いです。
ここの見所は本郭の虎口近くにある、出枡形土塁です。
いや~なんともセクシーな角度をつけた空堀ですねー。これで敵を防ぐという訳です。
最後の画像は西ノ郭のこのお城唯一の建築物である、復元木橋と複雑な形をした土塁です。この木橋はわざと傾斜をつけて敵に攻められないようにしています。また、その橋の先には蔀(しとみ)土塁というものが作られていて、西ノ郭から三ノ郭の中が見えないようにしています。いろいろ工夫しているんですね。
このお城は本当に謎が多い城でこれだけの遺構が残されていても戦国時代に誰が城主だったのか?いつまで使われたのかが資料が残っておらずまったく分かっていません。鉢形城、武州松山城、川越城の間にあり後北条氏の時代も使われたという説がありますが、発掘されている出土品からは後北条氏の時代に使われていた可能性は低いようです。関東特有の全く石垣のないお城ですが、土をこねただけで(そこまでいわなくてもいいか)、敵を防ぐ様々な工夫がされており、それがほぼそのまま残っている貴重なお城です。
このあたりは本当にお城の跡が多く、現在69ヶ所(!)の城跡が確認されています。山内上杉、扇谷上杉の争い、その後の後北条、上杉、武田の争いと戦国の真っ只中の地域なんです。そのためぽこぽこと防衛、攻城地点としてこれだけのお城ができたのでしょう。さすがに全部はいけないと思いますが。。
武将だけではなく、お城までマニアックになってしまいました。反省。。。
おまけ、二ノ郭にある、畠山重忠の銅像
前回の鉢形城はかろうじて建物がありましたが、とうとう建物のないお城の紹介です。。
このお城(館?)は源平の時代に畠山重忠(一ノ谷の戦いで鵯越を馬を担いで駆け下りたことで有名)の館があった場所に、戦国時代になって山内上杉家が対扇谷上杉の拠点としてお城として拡張されました。
現在このお城は本郭を中心に二ノ郭、三ノ郭など空堀土塁がよく残っており、国の史跡に指定されているんです。
本郭の入り口はこんな感じになっています。結構高い土塁で囲まれています。
本郭の内側はこんな形で東西約150m、南北約60mの長方形をしています。結構広いです。
ここの見所は本郭の虎口近くにある、出枡形土塁です。
いや~なんともセクシーな角度をつけた空堀ですねー。これで敵を防ぐという訳です。
最後の画像は西ノ郭のこのお城唯一の建築物である、復元木橋と複雑な形をした土塁です。この木橋はわざと傾斜をつけて敵に攻められないようにしています。また、その橋の先には蔀(しとみ)土塁というものが作られていて、西ノ郭から三ノ郭の中が見えないようにしています。いろいろ工夫しているんですね。
このお城は本当に謎が多い城でこれだけの遺構が残されていても戦国時代に誰が城主だったのか?いつまで使われたのかが資料が残っておらずまったく分かっていません。鉢形城、武州松山城、川越城の間にあり後北条氏の時代も使われたという説がありますが、発掘されている出土品からは後北条氏の時代に使われていた可能性は低いようです。関東特有の全く石垣のないお城ですが、土をこねただけで(そこまでいわなくてもいいか)、敵を防ぐ様々な工夫がされており、それがほぼそのまま残っている貴重なお城です。
このあたりは本当にお城の跡が多く、現在69ヶ所(!)の城跡が確認されています。山内上杉、扇谷上杉の争い、その後の後北条、上杉、武田の争いと戦国の真っ只中の地域なんです。そのためぽこぽこと防衛、攻城地点としてこれだけのお城ができたのでしょう。さすがに全部はいけないと思いますが。。
武将だけではなく、お城までマニアックになってしまいました。反省。。。
おまけ、二ノ郭にある、畠山重忠の銅像
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