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戦国ニュース【二条城が。。】 [城]

東京でもノロノロ台風の影響で今日、昨日と風が強かったのですが、中国地方、近畿地方では大きな被害が出ているようです。天災は本当に勘弁してほしいです。これ以上被害が拡大しないことを祈るしかできないのですが。。

そして、お城にも残念ながら被害が出ているようです。

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世界遺産・二条城、塀の一部はがれる 台風の影響か
http://www.asahi.com/national/update/0904/OSK201109040040.html

4日午前10時半ごろ、世界遺産の二条城(京都市中京区)で、正面入り口にあたる東大手門から北側に連なる「北方多門塀(ほっぽうたもんべい)」の一部がはがれ落ちた。塀は江戸時代初期につくられ、国の重要文化財に指定されている。台風12号に伴う強風の影響によるとみられる。

 市二条城事務所によると、はがれ落ちたのは縦1メートル、横1.5メートルの漆喰(しっくい)。1949年に塗り替えられてから修理されておらず、ひび割れがあった。

 7月20日にも台風6号の影響で、この塀から約100メートル南にある「東南隅櫓(すみやぐら)」の壁の一部がはがれ落ちた。

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1949年から修理されていなかったのもびっくりですが。。


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タグ:二条城
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戦国ニュース【大雨の鳥羽城で意外な展開が。。】 [城]

先週から梅雨入りしました。今年は例年より梅雨入りが早いそうで、その上週末には台風が接近して各地で被害が出たようです。震災の後ですので、被害は勘弁してほしいところですが、その被害が意外なところでお城とかかわっていたようです。

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【毎日新聞」】
大雨:鳥羽城跡のがけ崩落、築城時の石垣が露出 近鉄線路脇に落下 /三重
http://mainichi.jp/area/mie/news/20110531ddlk24040093000c.html

鳥羽市の県指定史跡・鳥羽城跡(標高39・8メートル)頂上部のがけが雨で崩落し、1メートル四方の岩など数個が落下、真下を走る近鉄志摩線の防護柵(さく)を突き破って、線路脇に落ちていたことが30日、分かった。近鉄の運行に影響は出ていないが、市は周囲の市道を立ち入り禁止にし、撤去作業中だ。崩落跡から乱積みの石垣が出土し、落下した岩は築城当時の石垣とみられ、市教委が調べている。【林一茂】

 市によると、29日正午過ぎ、近くの鳥羽水族館から市消防本部へがけ崩れが起きていると通報があった。市職員が現場を確認したところ、近鉄志摩線の西側約5メートル付近に、1メートル四方、高さ約80センチの岩が転げ落ちていた。線路は高さ1・5メートルのブロック積みの防護柵を設置していたが、岩は幅3メートル深さ1メートルの逆三角形状に突き破っていた。線路沿いの市道岩崎中之郷線にも縦1メートル、横70センチ、厚さ30センチの岩など2個や多数の石が落ちていた。

 鳥羽城跡頂上部は天守閣や本丸があった場所で、廃城後は旧鳥羽小の運動場として使われていた。がけは幅7、8メートル、長さ約10メートルにわたって崩れ、崩落跡からは幅5、6メートルにわたって乱積みの石垣が現れた。市教委の調査では「積み方が古く、おそらく築城当時の石垣に間違いない」という。

 鳥羽城は小山に戦国武将の九鬼嘉隆が1586年から8年をかけて築城した。大手門(水門)が海側に作られ、四方を海に囲まれた珍しい「海城」とされる。1871年に廃城となり、3層の天守閣は取り壊された。09年秋にも往時の石垣が見つかっている。
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この記事は毎日新聞のスクープ記事(?)だったようで、他の新聞社の記事はなく写真がないのが残念ですが、災害により新たな歴史の発見があったのは意外ですね。ここから九鬼水軍の城について新たな発見があればよいのですが。。

とにかく人的な被害がなかったのは幸いでした。


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タグ:鳥羽城
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戦国ニュース【元国宝大垣城のリニューアルオープン!】 [城]

今週は大変興味深いニュースがありました。
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【朝日新聞】
大垣城、消失前の姿に
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20110223/CK2011022302000115.html?ref=rank

老朽化が進み、安全のために改修されていた大垣城の工事が終わった。天守と乾隅櫓(やぐら)の屋根瓦、外壁などが新しくなった外観は、古い写真や図面などを参考にしており、戦災で焼失する前の姿とほぼ同じだという。

改修は大垣市教育委員会が2009年から進めていた。

アルミサッシだった4層部分の窓は小さくし、しっくいを施した鉄製枠の引き戸に変更。1959年の再建時に付けられた破風部分の金物の飾りは、元々はなかったという理由で撤去した。

天守の鬼瓦など約4万3千枚の瓦をほぼすべて取り換え、軒瓦の文様も焼失前の柄にした。石垣も石を詰めたり、樹脂で強化したりした。総工費は約2億1800万円。

 大垣城は、天文4(1535)年に築城されたと伝わる。関ケ原合戦の際には、西軍の拠点の一つだった。1936年に国宝に指定されたが、45年の戦災で焼失。再建後は、「戦後復興のシンボル」として市民に親しまれ、観光名所の一つともなっている。
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以前このブログでも大垣城はご紹介しましたが、、
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2008-08-23
大垣城がリニューアルオープンしたのです。で、改装前はこんな感じ。
大垣城天守閣.JPG

なんか4階の窓がなんとも風情がない感じだったんですね。。
で、これが消失前の写真
castle2.jpg

今回のリニューアルはこの戦前の外観に近付けたんですね。

いやー、すばらしいですね。以前からこのブログでも何度も言及しているように観光目的のために史実と違う形で復元しているお城が多いんです。岐阜城とか小田原城とか。。多くは戦後復興のシンボルとして昭和20-30年代に建てられたものですから、そろそろ老朽化により建て替えの時期がきていると思います。せっかくの機会なので大垣城をモデルケースに史実に沿った形で復元してほしいですね。

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タグ:大垣城 国宝
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今日の戦国ニュース [城]

今日の産経新聞の一面です。お城ネタが一面ですよ。

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お城、女性もお熱 各地で入場者数最高 武将人気後押し
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090511-00000092-san-soci

城の人気が過熱している。各地の城で入場者数が過去最高を記録しているのをはじめ、城にまつわるイベントも盛況。城を紹介した書籍や関連グッズも相次いで発売されている。その背景には、戦国武将人気の広がりや、城や城跡の整備が進んでいることがあるようだ。(森本昌彦)

  復元された本丸御殿を平成20年4月から一般公開している熊本城(熊本市)では、昨年度の入場者数は過去最高の221万9517人に上った。前年度を約100万人上回り、管理する市は「全国の城で日本一の入場者数」と鼻高々だ。ほかにも首里城(那覇市)で193万6387人、浜松城(浜松市)で11万2025人と、軒並み過去最高を記録。過去最高ではないものの、姫路城(兵庫県姫路市)は119万5004人と前年度に比べ約17万人増に。

 浜松城を管理運営するホテルコンコルド浜松の担当支配人、袴田一博さん(58)は「大河ドラマや戦国武将ブームが影響しているのでは」と見る。

 イベントも好調だ。財団法人日本城郭協会は19年から、協会が選定した100城を巡るスタンプラリーを開始。全国の城にスタンプ帳10万部を無料で置いたところ、間もなく品切れになった。スタンプラリーに合わせ、19年5月に発売された「日本100名城公式ガイドブック」(学習研究社)は、増刷を重ねて現在までに3万7000部を発行している。1月には、全110号に付いてくるパーツを組み立てると90分の1スケールの安土城ができる付録付き雑誌「週刊 安土城をつくる」(デアゴスティーニ・ジャパン)が創刊され、9万部が売れた。玩具メーカーのビバリーも今月14日、安土城と江戸城の往時の姿をコンピューターグラフィックスで再現したジグソーパズルを発売する。

 城郭考古学が専門の奈良大学教授の千田嘉博さん(45)は「今まで城というと男性、特に比較的年齢の高い人が興味を持っていたが、最近は女性で関心を持つ人が増えている。ゲームなどで戦国武将に興味を持ち、そこから城に関心が向いているようだ。加えて城の復元や整備が進み、訪れれば城がどんなものか理解しやすくなったことも大きい」とブームの背景を分析している。
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熊本城は本丸御殿ができたことで入場者が増え、一口城主も好調のようですが、反面こういう記事もあるんです。

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名古屋の河村市長「この不況、本丸御殿はタイミング悪い」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090511-OYT1T00046.htm

名古屋市の河村たかし市長は10日、同市中区のホテルで開かれた東海熊本県人会の懇親会に出席し、名古屋城本丸御殿の復元について、「この不況の中で、御殿と名の付くものを建てていいのか」と、改めて慎重な姿勢を示した。

 懇親会には熊本県の村田信一副知事も出席。熊本城本丸御殿の復元で、熊本城の観光客が前年より100万人増えたことを紹介した村田副知事は、「名古屋城本丸御殿と連携したイベントができればおもしろい」と持ちかけたが、河村市長は「熊本はうまくいったが、名古屋はタイミングが若干悪い」とやんわり断った。

 河村市長はこれまで「本丸御殿は一度立ち止まって検討する。玄関の復元だけでもいいのではないか」と、全体の復元には否定的な考えを示していた。

 また、熊本県の蒲島郁夫知事が124万円の給与を24万円にカットしていることを知らされると、「それは立派な方ですね。でも、2500万円を800万円にする方がカット額は大きい」と述べた。
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トヨタによって恩恵を被っていた愛知県はこの経済不況で逆に大変なことになっています。雇用創出+観光誘致で本丸御殿建築は進めたほうがよいと思うのですが。。


今日は社会ネタでした~






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一口城主? [城]

皆さん、一万円で熊本城主になるチャンスです!!!

熊本城 「一口城主」が好評 寄付金 4日間で1200万円超す
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090105-00000003-nnp-l43

熊本城の復元資金を募るため、熊本市が元日から受け付けを開始した、一口1万円で熊本城の城主を募る「一口城主」制度の寄付金額が4日、早くも1000万円の大台を超え、約1240万円に達した。中には一度に10万円を寄付した“城主”もおり、目標の7億円に向けて幸先良いスタートを切った。

 熊本城総合事務所によると4日までの応募は計1098口。本丸御殿前に設けられた特設テントには、熊本城の見学を終えた人などが次々と訪れ、手続きを済ませた。世の中は不況ムードが漂うだけに、同事務所も「4日間、天候に恵まれたこともあるが、これほどの好評をいただくとは…」と驚いた様子。

 「城主」になると城主証や、最大10年間無料で入城できるパスポートが贈られるほか、名前と住所を書いた芳名板も天守閣に掲示。集まった寄付金は熊本城の「第2期復元整備計画」(総事業費23億円)で予定する馬具櫓(やぐら)の復元事業費などに充てられる。

 受付は2017年度までの10年間。5日以降は熊本城頬当(ほおあて)御門や市役所で受け付けるほか、申込書の郵送も行う。同事務所=096(352)5900。

=2009/01/05付 西日本新聞朝刊=




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逆井城訪問記 [城]

実は関東でずっといきたかったお城があったんですよ。
それが茨城県にある逆井城です。(もちろん知っている方は少ないと思いますが。。)

じゃじゃ~ん!
HIMG0008.JPG


じゃじゃじゃ~ん!!
HIMG0010.JPG


ちょっと戦国時代にタイムトリップした感じがしませんか?
それでは動画でどうぞ!


このお城は発掘調査と時代考証に基づいて中世城郭の建物を復元しています。
まぁ、あれこれいうのもなんですので、見てください。

二層櫓の二階からの動画です。


模擬の井楼矢倉の動画です。


なんと登ることができました。二層櫓を見ます。
HIMG0019.JPG


一ノ曲輪の入り口にも櫓門が復元されています。
HIMG0031.JPG


ちょっと崩れた感じのディティールも凝っています。
HIMG0011.JPG


また建物が復元されているだけではなく、空堀や土塁も現存しています。北条氏特有の比高二重土塁も残っています。
HIMG0039.JPG

HIMG0044.JPG


ちょっと画像だらけになってしまったので、このお城についてご紹介。
逆井城は古河公方に仕えていた逆井常繁の城ですが、天文五(1536)年に北条方に攻められ落城してしまいます。でもこの頃に北条氏の勢力がこのあたりまで拡大していたのかはちょっと疑問もあるようです。その後天正五(1577)年には猛将北条綱成(このブログでも紹介していますね)の息子氏繁が入城して城郭を拡大しました。この城は佐竹氏、多賀谷氏との勢力境界線の最前線として非常に重要なお城だったんです。その後天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏の滅亡とともに逆井城は廃城となりました。

決して有名なお城ではないですが、このように中世城郭を再現しているお城は荒砥城( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E7%A0%A5%E5%9F%8E )や足助城( http://www.city.toyota.aichi.jp/division_n/facilities/jousekikouenasukejou/ )など日本各地にできてきて、新しいお城訪問の楽しみが増え喜ばしいことです。白亜の天守閣があるお城もそれはそれでいいですが、戦国時代の最前線のお城(というか砦)がどのようなものだったのかイメージを膨らますことができます。
皆様も是非一度行ってみて下さい!


ちなみに、、、


ものすっご~~い、遠いです。すんごい田舎です。(坂東市の皆さんごめんなさい。。)
駅からも高速のインターからも。。
私の車にはナビがついていないので泣きそうなくらい迷いました[もうやだ~(悲しい顔)] 

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菅谷館訪問記 [城]

今回のお城訪問記は埼玉にある「菅谷館」です。
碑.JPG


前回の鉢形城はかろうじて建物がありましたが、とうとう建物のないお城の紹介です。。
このお城(館?)は源平の時代に畠山重忠(一ノ谷の戦いで鵯越を馬を担いで駆け下りたことで有名)の館があった場所に、戦国時代になって山内上杉家が対扇谷上杉の拠点としてお城として拡張されました。

現在このお城は本郭を中心に二ノ郭、三ノ郭など空堀土塁がよく残っており、国の史跡に指定されているんです。
看板.JPG


本郭の入り口はこんな感じになっています。結構高い土塁で囲まれています。


本郭の内側はこんな形で東西約150m、南北約60mの長方形をしています。結構広いです。


ここの見所は本郭の虎口近くにある、出枡形土塁です。


いや~なんともセクシーな角度をつけた空堀ですねー。これで敵を防ぐという訳です。

最後の画像は西ノ郭のこのお城唯一の建築物である、復元木橋と複雑な形をした土塁です。この木橋はわざと傾斜をつけて敵に攻められないようにしています。また、その橋の先には蔀(しとみ)土塁というものが作られていて、西ノ郭から三ノ郭の中が見えないようにしています。いろいろ工夫しているんですね。


このお城は本当に謎が多い城でこれだけの遺構が残されていても戦国時代に誰が城主だったのか?いつまで使われたのかが資料が残っておらずまったく分かっていません。鉢形城、武州松山城、川越城の間にあり後北条氏の時代も使われたという説がありますが、発掘されている出土品からは後北条氏の時代に使われていた可能性は低いようです。関東特有の全く石垣のないお城ですが、土をこねただけで(そこまでいわなくてもいいか)、敵を防ぐ様々な工夫がされており、それがほぼそのまま残っている貴重なお城です。

このあたりは本当にお城の跡が多く、現在69ヶ所(!)の城跡が確認されています。山内上杉、扇谷上杉の争い、その後の後北条、上杉、武田の争いと戦国の真っ只中の地域なんです。そのためぽこぽこと防衛、攻城地点としてこれだけのお城ができたのでしょう。さすがに全部はいけないと思いますが。。

武将だけではなく、お城までマニアックになってしまいました。反省。。。

おまけ、二ノ郭にある、畠山重忠の銅像
畠山重忠像.JPG


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鉢形城訪問記 [城]

さて、前回の大野治長のブログは予想通り(?)アクセス数が芳しくなかったので[もうやだ~(悲しい顔)]
今回は人気のブログ、お城訪問記で勝負します!

今回のお城は、、、鉢形城です!
鉢形城.JPG


いきなり門の画像からなのですが、、、
このお城は埼玉県の寄居町にあります。天守閣はおろか櫓も御殿もないお城ですが、戦国時代に重要なお城だったのです。

鉢形城は文明8年(1476年)長尾景春によって築城された城です。その後山内上杉と扇谷上杉との争いの中心になりましたが、北条氏による武蔵国の支配の時代になり、永禄7年(1564年)に北条氏康の四男氏邦が入城すると、北条氏の北関東支配の拠点になりました。
その後武田信玄や上杉謙信にも攻められても守りきった堅城なのですが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めで前田利家、上杉景勝ら35,000の兵攻められ、約三ヶ月の籠城の後、開城となった、戦国時代の代表的なお城なんです。

鉢形城説明.JPG


さてこのお城は、遺構がよく残っているため昭和7年に国の史跡指定を受けており、前回の川越城のように宅地化が進んでおりません。

※So-netの動画は容量に制限があるため、今後ソニーの動画サービス「eyeVio」に動画をアップしていきます。
動画見ていただけました?こんな感じでただっぴろ~く城跡が残されているんです。

さて現在は秩父曲輪に四脚門、四阿(あずまや)、石垣が復元されています。

鉢形城石垣.JPG



動画だとこんな感じです。


この動画で見える虎口や内側に組まれた石垣は北条氏特有のものらしいです。確かに西国の石垣に組み方では見たことないですね。組んでいる石も小さいですし。

ちなみに本丸の後ろは荒川の断崖絶壁です。これは攻めにくかったでしょう。



なおこのお城には鉢形城歴史館が建っており、こちらに行かれることをオススメします。
また、この歴史館でもらえるフィールドマップなのですが、土塁や空堀の場所が分かりやすく示しており、非常に便利です。
http://www.town.yorii.saitama.jp/modules/mxdirectory/kanko/meisho/park.html

鉢形城は他の北条の城と比較して石垣で組まれている箇所が多く見られます。もしかしたら豊臣秀吉に攻められることを予測して組まれた、戦国時代後半の遺構になるのかもしれません。




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川越城訪問記 [城]

前回のブログで北条綱成についてご紹介したなかで「河越夜戦」について書きましたが、今回はその舞台である川越城の訪問記です!
川越城本丸御殿.JPG


川越は東京からもすぐにいける場所なのですが、この川越城にはチョー貴重な遺構があるのです。↑の写真がその本丸御殿です。この御殿は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、実は本丸御殿が現存しているお城は二条城、高知城とこの川越城だけなのです!

川越城は長禄元年(1457年)、太田道真、道灌父子によって建てられた城なのですが、その後北条氏の持ち城になり、川越夜戦が起こりました。正直、北条綱成はよく六ヶ月も持ちこたえたというくらいフツーな平城なんですよね。そんな川越城はこの本丸御殿以外は建物は残されておりません。周りは宅地化が進んでいます。例えばこの本丸御殿の隣は、、、


動画見てもらえました?アパートが建っているんですよ。本丸御殿の隣にアパートに住んでいる人って。。世が世なら絶対にありえない住居環境だと思うのですが。。

そのほかの見所(?)としては富士見櫓跡があります。平城の川越城でこの場所だけが小高い丘になっています。他の関東の城と同じように川越城にも天守閣はなくこの富士見櫓が天守閣の役割を担っていたようです。


また、本丸内にある三芳野神社の境内に土塁が残されています。


ちなみに本丸御殿は10月下旬から平成23年3月まで保存修理で休館になるそうです。
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1111720186503&SiteID=0
3年後どんな姿になるかわかりませんが、3年間待てない方は急いで見学に行ってください!

おまけ。川越市役所前にある太田道灌の像
太田道灌像.JPG

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大垣城訪問記 [城]

お城訪問記の第2弾は、、

「大垣城」です!

大垣城天守閣.JPG


大垣城?ってお城好きの方には感じられる方もいらっしゃると思いますが、実はこの城の天守閣は明治の廃藩置県の時も取り壊されず、戦前は国宝に指定されていたお城なんです。残念ながら天守閣戦災で焼失してしまい、今見る事ができるのは昭和34年に再建された復興天守閣になります。戦前の写真をみると外見はほぼそのまま再建しているようですが、4階の窓がなんか違う、、、観光用に大きくしたのかもしれませんがちょっとがっかりですね。4層4階の天守閣は当時非常に珍しかったようです。なぜなら4層は「死相」に繋がるということで4階建ての建物はほとんど作られなかったからです。


それでは天守閣の動画をどうぞ!


乾隅櫓から艮隅櫓を動画でどうぞ!


現在本丸には西門と反対側の東門(旧柳口門)からも入れますが、昔の絵図によるとこの本丸は堀に囲まれていて二の丸からしか入れなかったため、この二つの門は嘘っぱちということになりますね。

さて大垣城といえば、関ヶ原の戦い時に重要な拠点となったことは皆さん御存知だと思います。関ヶ原の戦いの直前に石田三成や宇喜多秀家、島津義弘らは大垣城に入城しており、ここから関ヶ原に向かいました。

天守閣の頂上から関ヶ原方面。左の山が毛利秀元が布陣していた南宮山です。
天守閣より関が原方面.JPG


お城のホームページを開設されている方の大垣城の写真はいつも変な角度からの写真で天守閣がきれいに写っているものがないなと思っていたのですが、実際に訪れてみてやっと理解できました。

木に囲まれている.JPG


天守閣の周りは木で覆われているため、木が邪魔できれいな写真がとれなかったんですね。。

ちなみに郡上八幡城、墨俣城の天守閣は大垣城の天守閣をパクッています。

郡上八幡城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E4%B8%8A%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%9F%8E

墨俣城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E4%BF%A3%E5%9F%8E

郡上八幡城の天守閣は日本最古の再建された木造天守閣(昭和8年再建)なんです。
あ、大垣城の天守閣はガチガチのコンクリート造りです。真似した方が貴重になっているという不思議な現象が起きているんですよね。




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