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戦国ニュース【大雨の鳥羽城で意外な展開が。。】 [城]

先週から梅雨入りしました。今年は例年より梅雨入りが早いそうで、その上週末には台風が接近して各地で被害が出たようです。震災の後ですので、被害は勘弁してほしいところですが、その被害が意外なところでお城とかかわっていたようです。

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【毎日新聞」】
大雨:鳥羽城跡のがけ崩落、築城時の石垣が露出 近鉄線路脇に落下 /三重
http://mainichi.jp/area/mie/news/20110531ddlk24040093000c.html

鳥羽市の県指定史跡・鳥羽城跡(標高39・8メートル)頂上部のがけが雨で崩落し、1メートル四方の岩など数個が落下、真下を走る近鉄志摩線の防護柵(さく)を突き破って、線路脇に落ちていたことが30日、分かった。近鉄の運行に影響は出ていないが、市は周囲の市道を立ち入り禁止にし、撤去作業中だ。崩落跡から乱積みの石垣が出土し、落下した岩は築城当時の石垣とみられ、市教委が調べている。【林一茂】

 市によると、29日正午過ぎ、近くの鳥羽水族館から市消防本部へがけ崩れが起きていると通報があった。市職員が現場を確認したところ、近鉄志摩線の西側約5メートル付近に、1メートル四方、高さ約80センチの岩が転げ落ちていた。線路は高さ1・5メートルのブロック積みの防護柵を設置していたが、岩は幅3メートル深さ1メートルの逆三角形状に突き破っていた。線路沿いの市道岩崎中之郷線にも縦1メートル、横70センチ、厚さ30センチの岩など2個や多数の石が落ちていた。

 鳥羽城跡頂上部は天守閣や本丸があった場所で、廃城後は旧鳥羽小の運動場として使われていた。がけは幅7、8メートル、長さ約10メートルにわたって崩れ、崩落跡からは幅5、6メートルにわたって乱積みの石垣が現れた。市教委の調査では「積み方が古く、おそらく築城当時の石垣に間違いない」という。

 鳥羽城は小山に戦国武将の九鬼嘉隆が1586年から8年をかけて築城した。大手門(水門)が海側に作られ、四方を海に囲まれた珍しい「海城」とされる。1871年に廃城となり、3層の天守閣は取り壊された。09年秋にも往時の石垣が見つかっている。
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この記事は毎日新聞のスクープ記事(?)だったようで、他の新聞社の記事はなく写真がないのが残念ですが、災害により新たな歴史の発見があったのは意外ですね。ここから九鬼水軍の城について新たな発見があればよいのですが。。

とにかく人的な被害がなかったのは幸いでした。


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タグ:鳥羽城
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