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天地人 第二回 [樋口兼豊(惣右衛門)]

先週の天地人第一回目は視聴率がよかったようですね。

篤姫超え!NHK大河「天地人」24.7%
http://www.sanspo.com/geino/news/090106/gnj0901060502004-n1.htm

さて、第二回目の「天地人」はホームシックになって家に帰ってしまった与六を喜平次が迎えに行き、無口な喜平次が与六に対して自分の家臣となってほしいと正直に伝えることで二人の主従関係ができたのが前半、そして後半から大きくなった与六として妻夫木君が登場してきました。今回も吉川晃司の織田信長と例の笹野高史の木下藤吉郎がちょっと出てくることにより、全国レベルでの時代の動きを説明していました。というわけなので、月日が経った以外には戦国好きには興味深い話はなかったです。。

今回も出てきました与六のお父さん樋口惣右衛門(高島政伸)は樋口兼豊といいます。先週ご紹介した長尾政景の居城、坂戸城で薪炭奉行から身を起こしたとされており、ドラマでも人柄の良い薪炭奉行という役になっていますが、もっと位が高かったのではないかという説があります。なぜなら奥さんのお藤(田中美佐子)は上杉家の筆頭家老直江景綱の妹とされているからです。さすがに薪奉行と上杉家のトップレベルの重臣との結婚は身分が違いすぎるため、政景の家老クラスだったのでは?というのがその理由です。その後兼豊は主に財政面で活躍しますが、御館の乱の時はもちろん景勝・兼続側につき、その武功により直峰城主に命じられます。この直峰城は春日山城と坂戸城の中間にあり、その二つを結ぶ重要な城を景勝は信頼できる兼続のオヤジに任せたんですね。兼豊はいつ生まれたかは分かっていませんが、関ヶ原の戦いの後、米沢に移ってから慶長七年(1602)九月十二日に死去しました。

ちなみに天地人は11月で終わってしまうため、大河ドラマの回数としては結構短いようです。が、一般の人にはちょ~っとマイナーな今回の大河ドラマはそれくらいがちょうどよいのかもしれませんね。

本木、大河食った!「天地人」11月で終了
http://www.sanspo.com/geino/news/090109/gnj0901090506012-n1.htm

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