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桶狭間の勇士【毛利新助のその後って知っています?】 [毛利新助]

今日は面白い小説を見つけたので紹介しますね。中村彰彦の「桶狭間の勇士」という小説です。

桶狭間の戦いで今川義元の首を取った武将の名前を知っていたら、かな~りの戦国通です。それが毛利新助(新介ともあまり知られてませんが良勝が本名)という武将でこの小説は新助と最初に義元に切りつけた服部小兵太の二人の桶狭間戦い後の人生を描いた小説です。すんごいとこに目をつけています。マニアックですねー。この二人の名前は桶狭間の戦い以降聞かないのですが、どうなってしまったのでしょうか?fuzzyは全然知りませんでした。。

さてさて、桶狭間。
信長の奇襲により、義元の本陣はパニックに陥ります。そんな中で小兵太は逃げようとする義元を見つけて槍を繰り出します。馬にも乗れないデブで有名な義元ですが、そうはいっても「海道一の弓取り」といわれた義元。逆に小兵太の左膝を切りつけ撃退します。今度は新助が義元に馬乗りになります。新助は義元に人差し指を食いちぎられながらも義元の首を取りました。翌日の首実検の場で毛利新助が呼ばれた時に小兵太がその場に入ってきて、「一番槍をつけたのは自分だ!」と訴えます。「首をとったのは俺だ!」と新助。そんな二人に信長は同等の手柄として認めたんですね。後年の信長では信じられない事ですが、この頃は話が分かる人情味溢れた人だったんですね~。

ちなみに桶狭間の一番手柄はこの二人ではありません。義元が桶狭間で休息してる所を見つけた簗田政綱が一番手柄だったんです。こういう所の信長はfuzzyも好きな所です。戦いが情報戦になってきていることを信長は分かっていたんですね。

で、新助のその後なんですが、、

新助は桶狭間の戦い後、信長の親衛隊の位置づけである黒母衣衆の一人になっていたのですが、戦いでの手柄よりも筆が立ったらしく、むしろ文官として領土安堵の朱印状を発行するなどの文章発給の仕事の才が認められたんですね。この頃急速に領地を拡大した信長にとって、新助の才能はそっちの方に発揮され戦場で目立つ活躍の場がなくなってきたのです。そして信長が岐阜城から安土城に移る際に新助は岐阜城に留まり、信長の息子の信忠の家臣となり、本能寺の変が起こりました。

本能寺に明智光秀が攻め込んだ時、新助は信忠とともに近くの妙覚寺にいましたが、ここにも明智軍は攻めて来て、新助は信忠とともに奮戦し、討ち死にしました。享年43才といわれています。

一方の小兵太。
本能寺の後も、小兵太は生きています。じつはある武将の部下となっていたんですね~
その話は次回に。。

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コメント 3

fuzzy

こんにちは、この小説読みました。この二人をを取り上げるなんて非常に興味をそそられましたね。
by fuzzy (2009-08-26 13:22) 

Nishi

面白いですね!!


読んでみようかなぁ。
by Nishi (2009-08-26 21:48) 

fuzzy

fuzzyさん、Nishiさん、いつもnice&コメントありがとうございます。この二人を取り上げた作品は他になくそれだけにこの小説は珍しいと思います。
Nishiさんには読む前にネタバレになってしまいましたが。。

是非!
by fuzzy (2009-08-26 22:19) 

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