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桶狭間の勇士2【服部小兵太のその後って知っています?】 [服部小兵太]

昨日の続きでーす。今日は服部小兵太のその後です。

小説内では、小兵太は三方が原の戦いに徳川家康の援軍として信長が送り込んだ平手汎秀の軍にいましたが、汎秀を守る事ができず、汎秀は戦死。生き残った小兵太はこの後、信長に相手にされなくなりました。。

このままではまずいと思った小兵太は、信長のもとを離れてこっそり、羽柴秀吉の部下になります。その後秀吉の黄母衣衆として、備中攻め、山崎の戦い、小牧・長久手の戦い等の名だたる戦いに従軍し、小田原攻めの後に伊勢松阪城主として3万5000石の領主となりました。毛利新助が城持ちになれなかったことと比較すると、小兵太はすんごい出世をしたことになります。いや~よかったねぇ、小兵太。

ところが、、、

順風満帆にいかないのが戦国時代。小兵太は秀吉に松坂城主と同時に豊臣秀次の宿老になることを命じられました。御存知のように秀次は秀吉に秀頼が生まれたことで、高野山の追放。すぐに切腹を命じられました。秀次の宿老達は秀次の振る舞いを直せなかった責任を取り切腹をする者もいましたが、小兵太は秀次をバカにしていたので
切腹はしませんでした。結局、領地を没収されて上杉景勝に預けられ、春日山で切腹することになりました。。
うぅ、かわいそうな小兵太。。

というわけで、義元の首を取った毛利新助、服部小兵太の二人は残念な死に方をしたんです。いや~知りませんでした。勉強になりました。

この小説を書いた中村彰彦の小説は今まで読んだことがなかったのですが、マニアックな題材の歴史小説を書くのをポリシーにしているようです。他の作品を是非読もうと思います。

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コメント 3

Nishi

なんとなく小平太の方がより残念な感じがするのはなんでなんでしょうね・・・・・。


いや、勉強になりました!!
by Nishi (2009-08-28 05:43) 

fuzzy

中村彰彦氏の小説、戊辰戦争を書いた作品(鬼官兵衛・立見鑑三郎など)が多く、会津にも造詣が深いですね。面白い作品を書いてますね。
by fuzzy (2009-08-28 16:28) 

fuzzy

Nishiさん&fuzzyさんいつもコメントいただきましてありがとうございます。
ちなみに小兵太の息子は徳川家康に仕えたそうです。子孫が残せたのはせめてもの救いかも知れません。

早乙女貢の「会津士魂」もそうですが、戊辰戦争って小説家の書きたい題材なのかも知れませんね。fuzzyも河井継之助が大好きです。

by fuzzy (2009-08-30 01:30) 

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