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歴史街道11月号-番外編-【あなたが桑名弥次兵衛の立場だったらどうします??】 [桑名吉成]

今日ご紹介する武将は超マニアックですよー。

桑名吉成、通称弥次兵衛といいます。弥次兵衛は長宗我部元親に仕え、長宗我部家の三家老の一人として、数々の武功を挙げた勇将です。特に島津との戸次川の戦いでは敗走する元親を守って見事に撤退したため、元親は臨終の際の遺言で「長宗我部家の先陣は必ず弥次兵衛にすべし」と盛親に言い残したほど、勇猛で信頼の厚い武将だったのです。しかも盛親ともとても仲がよく兄弟のような関係でした。

関ヶ原の戦い後に盛親は改易になると、弥次兵衛はいくつかの武将に家臣にならないか誘われましたが、以前からの知り合いだった藤堂高虎に2千石の高待遇で仕えます。高虎の仕えた後も盛親の生活のサポートをしていたとされています。うぅ、ええ話や~。

そんな弥次兵衛に不幸な状況が訪れます。それが大阪夏の陣です。。

もともと高虎は道明寺方面の豊臣方(後藤又兵衛ですかね?)を攻めるべく行軍していたのですが、八尾方面に敵影があるということで急遽、軍を転じたのです。そこにいたのが長宗我部隊でした。

弥次兵衛は藤堂隊の左先鋒だったのです。

弥次兵衛の前面には仲のよかった旧主の盛親をはじめとする土佐で共に戦った旧友や旧臣達が長宗我部家の再興と土佐兵の強さを見せ付けるために戦っています。自分はその軍を攻めなければならない。。かといって、ここで高禄で迎えてくれた恩がある高虎を裏切ることもできない。。

もし皆さんがおなじような境遇でどちらか一方を選択しなければならないとしたらどうしますか??

この究極の選択で弥次兵衛のとった選択は、、、

弥次兵衛は長宗我部隊に突撃します。そして何もせずに長宗我部隊にあえて討たれました。旧主に刃を向けられなかったのですね。。。

弥次兵衛をはじめ、大坂城に集まった旧臣達に盛親は慕われていたのですね。。


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コメント 3

ノリパ

旧主を攻める先鋒とは、戦国時代にはよくあることなんでしょうけど。
潔く討たれるケースは少なそうですね。いい話です。
それがしがその立場になったら・・・ 敵前逃亡っス、多分。
by ノリパ (2009-11-01 13:48) 

fuzzy

良い話ですね、義理と人情を秤にかけた結果の選択だったのでしょう。
私なら、戦っている振りをして戦況を見守りますね、長宗我部隊が優勢なら負傷欠場狙い、藤堂隊優勢ならいち早く盛親に近づき退路を空けながら戦うかな?やや卑怯な戦い振りですね。
by fuzzy (2009-11-01 18:29) 

fuzzy

ノリパさん、fuzzyさんコメントありがとうございます。
う~ん、どちらにも顔を立てるというのは難しいですね。fuzzyは、、、
助けを呼んで別の隊に戦ってもらいます。

弥次兵衛と盛親の関係は司馬遼太郎の「戦雲の夢」という小説に描かれていますので、ご興味がございましたら是非!

by fuzzy (2009-11-03 00:37) 

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