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戦国武将列伝4月号【30万石が幻となった水野勝成】 [水野勝成]

発売からしばらくたってしまいましたが、戦国武将列伝4月号がすでに発売されております。
http://www.leed.com/act/Detail.do?id=13893-04

今回もマイナー武将の短編マンガが掲載されており、主人公は水野勝成です。う~ん、、渋い。。

このマンガでは大坂夏の陣での勝成の活躍(と失敗?)を紹介していますが、この勝成、なんとも波乱万丈な人生を送っているんです。

勝成のお父さんの忠重といいます。忠重のお姉ちゃんは家康のお母さん(於大の方)なので勝成は家康の従妹ということになりますね。この勝成はとにかく血の気が多いんです。天正壬午の乱、小牧・長久手の乱で活躍をしたんですが、忠重の家臣を斬ったことで勘当を受けます。このあと勝成は諸国を放浪します。最初仙石秀久に仕え、その後豊臣秀吉、九州に渡って佐々成政→小西行長→加藤清正→立花宗茂→黒田如水と名だたる武将に仕えるんですがいざこざを起こすなどしてその後備中に向かいます。備中に滞在していた際に家康から忠重と和解をするように連絡を受け、父親の元に戻ります。

ところが忠重が関ヶ原の前のいざこざで殺害されてしまい、急遽勝成が家督を継ぎました。
家督を継いだ勝成は関ヶ原に向かいます。

ん?勝成って関ヶ原の戦いに参陣してたっけ?とお思いになられた方。さすがです。勝成は関ヶ原の本戦ではなく、大垣城の攻撃に参加していたんです。戦後、家康の息子、秀忠に仕えた勝成は大坂夏の陣を迎えます。
勝成は大和方面軍の大将に任命されますが、常に先陣で戦っていた勝成に、この戦いでは家康に大将として戦うように指示しました。

勝成は道明寺で後藤又兵衛と戦い壊滅させたのですが、大将なのに一番槍をあげてしまうんですね。翌日は真田幸村の戦いを防ぎ、明石全登を討ち取り、大坂城桜門に一番旗を立てるなど、抜群の戦功を上げ、現在の刈谷3万石から20~30万石の加増は間違いなしと言われていたのですが、家康は大将として戦わなかった勝成が気に入らなくわずか3万石を加増し、大和郡山に移封となりました。

へコむ勝成、、、かわいそうに思った秀忠は家康の死後、備後福山10万石に移封となり、福山城を築きました。この福山城は一国一城令の後に建てられた城で且つ10万石のお城としては大層立派天守閣を持つお城でした。
この福山藩が毛利をはじめとした西国の外様大名を監視する城となり、それだけ勝成が秀忠に信頼されていたということになります。

ちなみにこの勝成も立花宗茂同様、老齢になってから島原の乱に参陣しています。関ヶ原(実際は大垣城攻撃)、大坂の陣を知る最後の戦国武将の数少ない生き残りの一人ですね。

若い頃はすぐにケンカしたり、人を斬ったりととってもヤンチャな勝成でしたが、福山藩では善政を敷いていたようです。ちなみに備中に放浪中に食客としてお世話になっていた三村親成(関ヶ原の戦い後に没落していた)を家老として迎えるなどニクいところもあります。

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コメント 2

ノリパ

それがしもコンビニで買って読みました。こんなの読む人いるのかなぁ
と、思ってましたけど・・・ 同じデスね、うれしいデス。
by ノリパ (2010-03-28 17:27) 

fuzzy

fuzzyさん、コメントありがとうございます。
あははは、私の近所のコンビ二は発売日の数日後には売切れてしまいます。どうやら近所に戦国好きがいるようです。
by fuzzy (2010-03-28 18:54) 

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