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戦国ニュース【秀頼、淀君自刃の大坂城山里丸が発掘!】 [豊臣秀頼]

少し前ですが、6/26の読売新聞に大変興味深い記事が掲載されていました。

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秀頼と淀殿が自刃、「山里丸」の遺構見つかる
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100626-OYT1T00581.htm

大坂夏の陣(1615年)で、豊臣秀吉の子・秀頼とその母・淀殿が自刃した場所とされる大坂城(大阪市中央区)の区画「山里丸(やまざとまる)」とみられる遺構の一部が、大阪市博物館協会大阪文化財研究所の調査で初めて出土した。

 地表から約4メートルの深さに埋もれ、落城時の火災を示す焼土層が積もっていることが確認された。

 山里丸は、秀吉が千利休らと茶会を催した茶室などがあったとされる。遺構は、南北に延びる石組み溝(幅35センチ)で、長さ6メートル分を確認。溝の側面には高さ35センチ、長さ50センチ、幅20センチの石が並び、底には平らな石などが敷いてあった。中から見つかった陶磁器から、年代を特定した。

 焼土層は厚さ50センチ。焼けて変形した瓦も大量に出土した。溝は、徳川幕府が1624年に始めた城の再築で埋められたとみられる。

 調査成果は7月28日~9月20日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で展示する。 

(2010年6月26日15時48分 読売新聞)
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この記事内の地図で山里丸の位置が示されています。御存知の方も多いかと思いますが、豊臣秀吉の建てた大坂城の天守閣の位置と大坂の陣後に建てられた天守閣(現在の復元天守閣のある場所)はちょっとずれているんですね。山里丸は昔の天守閣のすぐ下にあります。茶室があったとされています。この山里丸で千姫を家康のもとに返すことで助命嘆願をしたのですが、受け入れられずに自刃したんですね。。

注目は焼土層が確認されたことです。これにより自刃した後にこもった倉(櫓?)を炎上させたことが証明されました。

400年前のことでも少しづつわかる事があるのが、歴史の面白いところ。

ちなみに現場を既に埋めもどされているとの事です。なぜ埋め戻すんでしょう???
きちんと保存して史跡として見られるようにすればよいと思うのですが。。

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