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戦国武将列伝12月号【水攻めされた清水宗治の息子の話】 [清水景治]

先月末に発売された戦国武将列伝12月号。
http://www.leed.co.jp/book/b956.html

今号のマイナー武将(?)短編は清水宗治です。

宗治はご存知、羽柴秀吉に水攻めされた備中松山城主です。毛利を裏切ることなく5千の城兵を救うために切腹したことで、秀吉から「武士の鑑」と評価され、備中の片田舎(失礼)の武将の名前が後世に伝えられるほど有名になりました。

さて、今日はこの宗治の次男、景治の話をしたいと思います。

この景治は秀吉による備中松山城攻めの際に毛利家に人質として出されていました。その後、毛利輝元に備中の地に屋敷を与えられ小早川隆景に仕えていたようです。すると、秀吉から「あの清水宗治の息子なら大名として取り立てたい」と小早川隆景を通して打診がありました。隆景が景治に伝えると、景治は「毛利の家臣でいたい」といい、この秀吉からの申し出を断ったのです。お父さん同様律儀な人だったんですね。

小早川家で景治は隆景の養子となった秀秋に仕えていたようですが、朝鮮出兵での行いが秀吉の怒りに触れて、九州の領土を取り上げられた際に毛利でまた仕えたようです。(このあたりははっきりわかっていないようです)

関ヶ原の戦い後、減封され萩に移った毛利家で景治はお父さんの功績で毛利一門に次ぐ寄組士として2500石を領しました。減封されながらも、これだけの破格で待遇するほど毛利家も清水家を大切にしていたんですねー。

そんな景治はお父さんの名を汚すことなく、毛利家の財政再建に尽力しました。そして慶安2年(1649年)に死去しました。

毛利への忠誠を誓う清水親子もすばらしいですが、それに応える毛利家もすばらしいですね。

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