津山城訪問記(その2)【目指せ!“櫓の城”完全復元!!】 [城-岡山県]
前回の続きで津山城訪問記その2です。その1はご覧いただけましたか??
よく考えたら絵図があればより分かりやすいですよね。下の絵図をご参考になさって下さい。
では気を取り直して備中櫓から。
備中櫓は築城400年事業の一環として津山城内で唯一復元された櫓になります。天守閣でなくて櫓だったんです。う~~ん、天守閣にして欲しかった。。
とはいえこの備中櫓は城内で最大級の大きさの櫓で全室畳敷きの居住スペースだったんです。
できるだけ忠実に再現されており、ちゃんとおトイレも復元されています。
ここで津山城の歴史の紹介で~す。
津山城は織田信長の家臣、森可成の六男忠政が備前美作の領主であった小早川秀秋が亡くなり無嗣改易となったため、信濃川中島から美作に移封になりました。
忠政は有名な森蘭丸の弟です。なんで六男が跡を継いでいるかって?以前このブログでも森家について解説しているので参考になさってください。
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300281176-1
忠政は嘉吉年間(1441~44)に山名忠政によって城が作られていた鶴山に目をつけて鶴山を津山と改め、築城を開始しました。12年かけて完成した津山城は森家4代・松平家9代の居城として明治を迎えましたが、残念ながら廃城令により建物はすべて取り壊されてしまったのです。。
さて、お城の紹介に戻りましょう。津山城は堅固に作られている搦手も見どころです。
搦手は二つの堀で守られています。厩堀とこの薬研堀になります。
搦手は裏下門から攻め上がります。
堅固な虎口です。
その次が裏中門
石垣好きにはたまらないカットですナ~
ん?水抜きですかね?
裏鉄門を抜けると本丸に到達。搦手の方が直線的に本丸へ到達してしまうため堅固ですね。
これで大体津山城のご紹介は終了しました。この津山城のすごいところは櫓の数が多いこと。なんでも全国で3番目に多かったらしいです。(一番は広島城の76棟、二番は姫路城の61棟、三番目が津山城の60棟。姫路城とはわずか1棟差)
また、津山城は明治時代の古写真が結構残っているんです。なんでも(2回目)、津山藩の重臣だった人が東京で写真術を学んだ後、津山に帰ってきて写真屋を開業したため被写体として津山城を撮影したようです。
http://www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/oldphoto/index.html
いや~これは古写真をあることだし、土台の石垣はバッチリ残っているし“櫓の城”の完全復元を目指して欲しいところです。まずは天守閣からですかね!
城東地区にある大隅神社の神門も津山城内の門を移築したものらしいです。どこの門だったかは不明のようですが。
吉井川の対岸から
近くの商業施設の屋上駐車場から
最後の動画は城の東側の防御になっている宮川の対岸から。あの石垣の上すべてに塀と櫓があったと考えると、非常に堅固なお城だったことがうかがえます。
今度は桜が満開の時に訪問したいです。ちなみに電車(電化されていませんが)ですと、本数が少ないうえ、岡山から快速でも1時間ちょい、鈍行だと1時間半かかります。余裕をもった訪問がオススメです。
戦国時代ブログランキング参加中!「津山城の復元に賛成!」という方は応援クリックお願いします!!
にほんブログ村
よく考えたら絵図があればより分かりやすいですよね。下の絵図をご参考になさって下さい。
では気を取り直して備中櫓から。
備中櫓は築城400年事業の一環として津山城内で唯一復元された櫓になります。天守閣でなくて櫓だったんです。う~~ん、天守閣にして欲しかった。。
とはいえこの備中櫓は城内で最大級の大きさの櫓で全室畳敷きの居住スペースだったんです。
できるだけ忠実に再現されており、ちゃんとおトイレも復元されています。
ここで津山城の歴史の紹介で~す。
津山城は織田信長の家臣、森可成の六男忠政が備前美作の領主であった小早川秀秋が亡くなり無嗣改易となったため、信濃川中島から美作に移封になりました。
忠政は有名な森蘭丸の弟です。なんで六男が跡を継いでいるかって?以前このブログでも森家について解説しているので参考になさってください。
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300281176-1
忠政は嘉吉年間(1441~44)に山名忠政によって城が作られていた鶴山に目をつけて鶴山を津山と改め、築城を開始しました。12年かけて完成した津山城は森家4代・松平家9代の居城として明治を迎えましたが、残念ながら廃城令により建物はすべて取り壊されてしまったのです。。
さて、お城の紹介に戻りましょう。津山城は堅固に作られている搦手も見どころです。
搦手は二つの堀で守られています。厩堀とこの薬研堀になります。
搦手は裏下門から攻め上がります。
堅固な虎口です。
その次が裏中門
石垣好きにはたまらないカットですナ~
ん?水抜きですかね?
裏鉄門を抜けると本丸に到達。搦手の方が直線的に本丸へ到達してしまうため堅固ですね。
これで大体津山城のご紹介は終了しました。この津山城のすごいところは櫓の数が多いこと。なんでも全国で3番目に多かったらしいです。(一番は広島城の76棟、二番は姫路城の61棟、三番目が津山城の60棟。姫路城とはわずか1棟差)
また、津山城は明治時代の古写真が結構残っているんです。なんでも(2回目)、津山藩の重臣だった人が東京で写真術を学んだ後、津山に帰ってきて写真屋を開業したため被写体として津山城を撮影したようです。
http://www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/oldphoto/index.html
いや~これは古写真をあることだし、土台の石垣はバッチリ残っているし“櫓の城”の完全復元を目指して欲しいところです。まずは天守閣からですかね!
城東地区にある大隅神社の神門も津山城内の門を移築したものらしいです。どこの門だったかは不明のようですが。
吉井川の対岸から
近くの商業施設の屋上駐車場から
最後の動画は城の東側の防御になっている宮川の対岸から。あの石垣の上すべてに塀と櫓があったと考えると、非常に堅固なお城だったことがうかがえます。
今度は桜が満開の時に訪問したいです。ちなみに電車(電化されていませんが)ですと、本数が少ないうえ、岡山から快速でも1時間ちょい、鈍行だと1時間半かかります。余裕をもった訪問がオススメです。
戦国時代ブログランキング参加中!「津山城の復元に賛成!」という方は応援クリックお願いします!!
にほんブログ村
復元に賛成です! この素晴らしい石垣を活かすためにも、復元してほし
いですよね。またいって見たいお城の一つです。
by ノリパ (2011-05-15 17:39)
ノリパさん、続けてのコメントありがとうございます。
ですよね~、今、丸亀城や松江城など昔の形で復元するための懸賞金をかけてまでも古写真や情報を集めているようです。津山城はこれだけ写真があればなんとかなりそうなんですが、やはりお金ですかねぇ。。
by fuzzy (2011-05-18 00:24)