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犬山城訪問記(その2)【犬山城の移築門紹介!】 [城-愛知県]

さて、犬山城訪問記のその2では犬山城の近くで現存している門をできうる限り紹介していきます。
その1で出てきました古地図をもう一度ご参照いただけますとわかりやすいかと。
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犬山城の東、城下に最も近くにあるのが、常満寺の門です。この門は松の丸の東端にある裏門の薬医門でした。
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続いて「犬山遊園」駅へ。この駅の裏側にある瑞泉寺の山門は犬山城の東側、搦手門だった内田御門を移築したものです。
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ここからは名鉄線に乗ってちょこっと移動。「柏森」駅へ。駅を出て5分ほど歩くと専修院というお寺がありましてここの東門が矢来門を移築したものといわれています。
その1のおさらい。
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そして実物。
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この門は高麗門といわれているのですが、反対側を見ると特徴的なのがわかります。
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次に駅の反対側へ。15分ほどあるいた住宅街に徳林寺というお寺があります。このお寺の山門が本丸に向かう途中にあった黒門を移築したものになります。
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本丸への一歩手前ということもあり、なかなか重厚な造りになっていますね~
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写真をご覧いただければわかるように、徳林寺に来た所で夕暮れに。。
今回は4ヶ所しか回れませんでしたが、その他にも一宮市の淨連寺には松の丸門、おなじく一宮市の運善寺にも犬山城から移築した門があるようです。また、桐の丸の東南にあった宗門櫓という櫓が江南市の個人宅に移築されているようです。次回はこれらの門や櫓も完全制覇したいところです。

さてさて、それでは犬山城の歴史の紹介~♪

犬山城の下を流れる木曽川は尾張と美濃の国境にあたる重要な場所でした。犬山城は織田信長のお父さん信秀の弟、広近がこの地に砦を築き、広近の子の信清がお城の形にしました。ところがこの信清は信長と仲が悪く、信長に攻められた結果、犬山城は信長のものになりました。

その後、犬山城は大きな戦いの舞台になります。

一つ目は小牧・長久手の戦い。秀吉側の池田恒興は犬山城を攻め落とし、秀吉が犬山城に入場して対面にある小牧山城に入った徳川家康と睨み合いをしました。二つ目は関ヶ原の戦い。当時の城主石川貞清は西軍に組し、同じく西軍に組した岐阜城の織田秀信らと共に東軍に対する最前線地となりましたが、岐阜城があっけなく落城してしまい、福島正則が犬山城攻撃の準備を開始した時に貞清は城を捨てて関ヶ原に向かいました。

徳川の時代に入ると犬山城は尾張藩の付家老として平岩親吉そして成瀬正成が入場し、成瀬家のまま明治維新を迎えました。ほとんどの他のお城の藩主は明治維新後にお城と関係がなくなりましたが、天災で壊れた城の修復を条件に成瀬さんに譲渡され、ちょっと前まで成瀬さん個人の持ち物だったんです。いや~元お殿様とはいえお城を個人で持っているなんてなんともうらやましい限りです。

現存する天守を持つお城の中でも、戦国時代の攻防戦になったお城はそんなに多くないと思います。犬山城のほかは備中松山城、松本(深志)城くらいではないでしょうか?

こじんまりとしたかわいいお城なんですが、この“後ろ堅固”なところも戦国時代に建てられたお城っぽくてとってもいい城だと思います。移築門の訪問も含めて訪問をオススメします。
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