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言い触らし団右衛門【戦国史上最もすごい一騎討ちをした武将】 [塙団右衛門]

今回は司馬遼太郎の短編「言い触らし団右衛門」から塙団右衛門を紹介します。

ちょっと戦国時代に詳しい人なら塙団右衛門の名前は聞いたことがあると思います。もうその段階で団右衛門の術中にはまっているんです。だって団右衛門の名前が400年後まで語り継がれているんですから。。

このブログでは有能は武将、ダメ~な武将を数多く紹介していますが、今回は「しょ~がね~な(失笑)」という武将のカテゴリーに入ります。

とにかく団右衛門は有名になることに一生を捧げた武将です。

団右衛門は賤ヶ岳の七本槍の1人、加藤嘉明の家臣でした。彼の名前が武将の間で有名になったのは朝鮮出兵の際に大人が3人がかりでも持てないような日本の旗を大柄の団右衛門は一人でもち続けた事です。そして関ヶ原の戦い。鉄砲隊の指揮をしなければいけない団右衛門は戦いが始まると鉄砲隊そっちのけで、いつまにか戦いに乱入し一番槍を挙げました(笑)。これが理由かはわかりませんが、嘉明のもとを去りました。後藤又兵衛と同様に他家からの仕官の話が入ると邪魔され、鉄牛と称した僧になっていました。

そして豊臣と徳川が手切れになると大阪城に入城。冬の陣が始まります。

冬の陣は真田丸での真田幸村の活躍が有名ですが、もう一つ「団右衛門の夜討ち」というのがあります。この時勝利した団右衛門は戦場に「今日の夜襲は塙団右衛門がやりました」と書いた紙(or板)をばら撒いてきました。あいかわらずのアピールっぷりです。

そして夏の陣。和歌山から攻めてくる浅野軍を迎えるべく岡部大学という武将が先陣を命じられました。ところがここを死に場所と決めている団右衛門は納得がいきません。勝手に攻めていきます。負けじと負う大学、逃げる団右衛門。もうそれぞれの部下はついてこれず、そのうち二人の差は開き。ニンマリする団右衛門。と、その前に浅野軍3千が。。。


3000人vs1人。。


桶狭間、厳島をはじめ自軍より倍以上の戦いはあったかもしれませんが、さすがに3000倍の戦いを挑んだのは団右衛門だけでしょう。1人武将が突っ込んでくる武将を見て浅野軍はどう思ったのでしょうかねぇ。。団右衛門戦死。団右衛門のせいでは必ずしもないとは思いますが、浅野軍を食い止めることはできませんでした。

でもいいんです。このブログで団右衛門の名前を知る人が増えれば、それはそれで団右衛門はさらに有名になるわけですしね(笑)

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