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幻の観音寺城【巨大山城と生きた名門六角氏】 [六角義賢(承禎)]

今度お城訪問記でご紹介しますが、先日安土城に行ってきました。で、安土城の隣にあるのが、観音寺城。隣にあるのに訪問は挫折。なぜって観音寺城はものすごいデカいんですよ。下の航空写真をご覧ください。
青いマルが安土城、赤いマルは観音寺城。安土城5~6個分の大きさなんですよ。
dada[1].JPG

前置きが長くなりましたが、今回は南條範夫による観音寺城を舞台にした小説「幻の観音寺城」を紹介します。氏の小説で有名なのが山中鹿之介の「出雲の鷹」ですが、この小説もマニアックな題材ですね~。

六角氏は近江源氏である佐々木氏の流れを組み、巨大な観音寺城と甲賀との連携により足利将軍をサポート、戦国時代前半の六角承禎のお父さんの定頼の代に全盛期を迎えました。

ところが、この定頼は次男だったんです。長男の氏綱は(小説)では病弱でほとんどの戦いは定頼がでていたので、氏綱が若くして死んだ跡は定頼が六角家を継ぐものと考えていたのですが、氏綱の子の義実が継ぎました。納得にいかない氏綱は承禎と謀り義実を、、、あとは小説でお楽しみください。

そんなこんなで定頼が六角家を継いだわけなので、家中は分裂気味。。承禎の代になると三好長慶や浅井久政らと戦っていたのですが、息子の義治が重臣の後藤賢豊を殺害するなど、家中は同様するようになってきました。

そして現れたのが織田信長。足利義昭を京都に上洛させるために軍を進め、当主となっていた義治に上洛をサポートするようにお願いされたが、名門のプライドからかこれを拒絶。観音寺城とその支城で信長を迎え討とうとするのあっさりと支城が落城してしまったため、観音寺城から逃げ出しました。その後甲賀と組んでゲリラ戦で信長に対抗するも、目立った戦績を挙げることができず承禎、義治親子と名門六角氏は歴史から名前を消しました。

さて、この小説ですが、甲賀の忍者を使えるという優位点でかなりフィクション性を持っていますが、観音寺城が落城していた後も使われていた根拠等を示されており、歴史資料としてもなるほどと思わせる内容になっている良書だと思います。

なんでも観音寺城は1000個(!)の曲輪があるらしいです。全部見たら何日かかるんだろう。。いつか挑戦したいと思います!!

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