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浅井長政【長政が名将と言われるワケ】 [浅井長政]

今回は徳永真一郎の「浅井長政」から浅井長政についてご紹介します♪

この小説はところどころ歴史事実を時系列のみで記載されているところがあり、小説全体の流れがあまり良くなくそれが若干つまらなくしているのですが(って書きましたっけ?)、主人公の選択はいいですね。

さて、浅井家は長政のおじいちゃんである亮政が守護の京極家を実力で上回るようになり北近江で勢力を拡大しました。ところが、、、

次の久政(長政のお父さん)はちょっと頼りなく、南近江の守護の六角家に目をつけられ戦いに破れてしまいました。。

実は長政という名前は2番目の名前で、元服した当時は賢政という名前でした。この「賢」は六角義賢の名前をつけられたんです。しかも長政は織田信長の妹であるお市の方の前に義賢の家臣と結婚させられているんです。

頼りない久政のせいで六角家の臣下とさせられている浅井家の家臣団は、この六角家との関係を打開するためにダメな久政よりも息子の賢政に期待しました。
そして、賢政は15歳の時に六角家に戦いを挑みます。浅井軍は1万1千、六角軍は2万5千の戦いでしたが、賢政は2倍の敵を蹴散らし六角家からの独立に成功しました。(野良田の戦い)
この戦いの後、家臣団の期待を受けた賢政は久政から家督を譲られました。

それからの長政の人生は皆様ご存知の通り。

今日はあまり知られていない、長政の前半生のお話でしたー。


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