SSブログ

歴史街道5月号【本能寺の変と斎藤利三の関係】 [斎藤利三]

現在売っている歴史街道5月号は「本能寺の変と光秀の謎」という特集が組まれています。
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/?unique_issue_id=84289

このブログを開始した数年前を似たような特集が組まれておりこのブログでも紹介しています~。
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300274019-1

明智光秀が本能寺の変を起こした理由についてはこの特集時から新しい説が出てきていたんです。そのキーマンが今回ご紹介する明智光秀の家老、斎藤利三です。
従来までの説は、、
①信長非道阻止説
②徳川家康同盟説
③羽柴秀吉黒幕説
④足利義昭黒幕説
⑤朝廷黒幕説
があったのですが、これに⑥斎藤利三介在説というのがあります。

ここで出てくるのが土佐の長宗我部元親です。

元親は信長の強さを認識し、信長に友好関係を保つために婚姻関係を結びます。その元親の奥さんが利三の義妹(お兄ちゃんの娘)なのです。そのような関係から光秀は元親との交渉役となっており、信長も元親に「四国はご自由に領地にしてどうぞ」としていたのですが、信長は方向転換し、元親を攻めることになりました。結果光秀は四国担当から外され、これが本能寺の変を起こした一因とされています。

もう一つ。利三はもともと稲葉一鉄に仕えていて、その後光秀の家臣になったのですが、同じように一鉄のもとから光秀の家臣になった武将がおり、その武将を利三が引き抜いたとして信長が怒って利三に切腹を命じ、助命をしようとした光秀がぶんなぐられた時に公衆の面前でズラが外れてしまったことで信長を恨んだという説もあります。

まぁ、信ぴょう性が高い説としては、元親は阿波の三好氏を追い詰めていましたが、三好氏は信長を頼り、三好家に秀吉のおいの秀次が養子に入り、三好家をサポートして元親を攻めることになったため、光秀のポジショニングが秀吉と逆転して織田家での地位が危ぶまれたというのがなんとなくわかる理由だと思われますが。。

なお、利三は山崎の戦いに敗れて敗走しましたが、捕まって京の六条河原で斬首になりました。

利三は3代将軍家光を育てた春日局のお父さんということで有名ですね。

謎が深い本能寺の変ですが、皆さんは何が原因と考えますか??


戦国時代ブログランキング参加中!「なるほど~」と思われましたら応援クリックお願いします

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。