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宿敵①【小西行長の宿敵は…?】 [小西行長]

いや~バンクーバーオリンピックが無事終わりましたね。
フィギアスケートは真央ちゃんはほぼ完璧な演技でしたが、残念ながらキムヨナは精密機械のようでした。ソチ五輪にキムヨナがでるかわかりませんが、次こそ金メダル狙ってもらいたいです。

さて、浅田真央とキムヨナはジュニアの頃から戦い続けていた宿命のライバル-宿敵ってやつですね。
もちろん戦国武将も武田信玄と上杉謙信のように宿敵がいました。今回は遠藤周作の「宿敵」を御紹介します。

遠藤周作は高名な小説家ですが、そんなに多くの歴史小説を書いていません。「宿敵」は小西行長と加藤清正の対立を書いた小説です。

小説は小西行長は堺の豪商小西隆佐の子供で、秀吉の小姓として使えていたところから始まります。幼名を彌九郎といった行長は商人の出身で石田三成達と後方支援業務を担当していたということで、加藤清正や福島正則らの戦場を駆け回る武闘派達と対立していきました。

行長は商人としての能力生かした海上輸送のスペシャリストとなっていましたが、次第に輸送から海上での戦いができる水軍を組織するようになりました。秀吉の天下取りと同時に行長も順調に出世していきましたが、秀吉の九州平定後に大きな事件が起きました。行長は敬虔はクリスチャンだったのですが、秀吉がバテレン追放令を出したのです。行長は表向き棄教をしましたが、棄教をしなかったために領地を没収された高山右近や国外追放を命じられた宣教師をこっそり領地の小豆島に匿っていました。その情報を知った清正は秀吉に報告しますが、秀吉は知らんぷりをしました。秀吉は小西行長をある目的のために使いたかったので見て見ぬ振りをしていたのです。

九州平定後、肥後一国は佐々成政に与えられます。成政は柴田勝家、徳川家康と組んで秀吉に反抗していたのですが今は秀吉の配下となっていました。成政は肥後で無理な検地を行ったために各地で一揆が起こり、その責任を取り切腹をしました。成政のあとの肥後を半国づつ与えられたのが行長と清正でした。

行長と清正はこの後大きな戦いの先陣を任されることになります。。

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コメント 4

fuzzy

遠藤周作はキリシタンですから、行長寄りの作品ですね。それにしても、この二人は終生宿敵ですね、仏教徒とキリシタン、武将として育てられた清正と商人の倅行長では合わなかったのでしょうね、それなのに領国は隣接し、戦でも競い合い、秀吉も罪なことをしましたね、楽しんでいたとも感じます。
by fuzzy (2010-03-07 14:00) 

ノリパ

清正公の熊本城は、その威容を今に伝えてますね。でも、小西行長公の
宇土城はなにもなかったデス。遠藤周作先生の宿敵ですか、読んでない
ので読みたいです。
by ノリパ (2010-03-07 18:29) 

fuzzy

fuzzyさんコメントありがとうございます。遠藤周作の「反逆」という小説では奥さんがキリシタンの荒木村重が主役ですね。敬虔なクリスチャンの行長と日蓮宗の宗徒である清正とでは全くそりが合わなかったのでしょう。

by fuzzy (2010-03-08 00:23) 

fuzzy

ノリパさん、コメントありがとうございます。
宇土城はなんでも島原の乱の後、キリシタンが再び立てこもる城にならないように跡形もなく破壊したそうです。九州ならではの話ですね。
私も宇土城行ってみたいです。

by fuzzy (2010-03-08 00:26) 

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