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海将【興味深い小西行長の前半生】 [小西行長]

久々に書評にいってきましょう♪

今回ご紹介するのは、白石一郎氏の「海将」です!
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キリシタン大名小西行長の前半生をテーマにした作品です。
以前このブログで小西行長と加藤清正の争いを焦点にした遠藤周作氏の「宿敵」を紹介しましたが、

宿敵①【小西行長の宿敵は…?】 
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2010-03-07
宿敵②【小西行長VS加藤清正の攻防】
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2010-03-14

この「宿敵」と今回ご紹介する「海将」が小西行長をテーマにした2大小説といえると思います。遠藤周作が芥川賞作家なら、白石一郎は直木賞作家ですからね。この二人から題材に選ばれた行長はとても興味深い武将だったのでしょう。

特に白石一郎氏といえば、海をテーマにした小説で有名ですね。今回の題材にした行長はまさに「海の男」としてうってつけだったと思います。

先に言っておきます。この小説は面白いです。その理由は行長の前半生をテーマにしているからなんですね。

小西行長の名前が歴史上に出るのは、文禄・慶長の役での朝鮮への出兵からで、関が原の戦いで西軍につき、敗れて六条河原で斬首されたというのが皆さんもご存知のところ。この小説は上下巻に分かれた大作にもかかわらず、肥後半国の大名になったところですっぱりと終わっちゃうんですよ。。つまり、行長のあまり知られていない部分のみを小説にしているのです。

だから全体を通してフィクション的な要素があるのですが、ベースは史実に基づいているのでうそ臭くない。
特に前半の羽柴秀吉、小西隆佐、宇喜多直家との関係は非常に面白いです。

ご興味がありましたら是非♪

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宿敵②【小西行長VS加藤清正の攻防】 [小西行長]

先週の続きで~す。

秀吉は朝鮮経由の明への出兵を決めて、先鋒を小西行長、第二陣を加藤清正に命じ、それぞれ別のルートで攻めることになりました。表向きは朝鮮との貿易をしていて朝鮮に詳しい商人出身という理由での行長の先鋒ですが、秀吉は見ず知らずの土地である朝鮮に送るにはキリシタンの行長なら別にどうなっても構わないという裏の理由がありました。そのためにキリシタンをかくまっていた行長に対して何のお咎めもなかったんですね。

そうとは知らない清正は納得がいきません。なんとか武功を立てようと朝鮮上陸後、進軍を急ぎます。

一方の行長は秀吉の考えがわかりましたが、この戦は日本全体にとって無謀なものと考え、朝鮮と講和の道を探りながら進んでいるため、清正に進軍されるとちょっとウザいんですよね。

そんなこんなで朝鮮でぶつかる二人。行長は盟友の石田三成に相談して、清正が豊臣と名乗って朝鮮で偉そうにしていると秀吉に報告し、日本へ帰国させることに成功します。清正がいなくなった行長は明が秀吉に降伏するというウソの使者を仕立てて日本に送りましたが、このウソがバレてしまい、秀吉は再度朝鮮に兵を送ります。

行長はこの戦を終わらせるには秀吉が死ぬしかないと思い、三成と策略を張り巡らせましたがそれは本を読んでのお楽しみ。。。

その後秀吉は死に、関ヶ原の戦いで行長は盟友の三成に組し敗北します。キリシタンは自害ができないので、行長は結局捕まり、六条河原で三成、安国寺恵瓊と共に斬首されました。

一方の清正は関ヶ原の戦い時に九州にいて、行長の居城宇土城を攻めました。宇土城は頑強に抵抗しましたが、西軍が関ヶ原で負け、行長が斬首されたことを知ると城代の行長の弟である小西隼人が切腹して開城しました。

とまぁ、ある程度フィクションが入った内容なのですが、なかなか面白い小説だと思います。清正ファンはちょっとつまらないかもしれませんが。。

行長はこのブログでも紹介した紀州太田城の水攻めに失敗したり、天草地方の反乱を収集できず清正に頼ったりとあまり優秀な武将ではないイメージがあるのですが、やはり後方支援のプロフェッショナルだったのでしょう。

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宿敵①【小西行長の宿敵は…?】 [小西行長]

いや~バンクーバーオリンピックが無事終わりましたね。
フィギアスケートは真央ちゃんはほぼ完璧な演技でしたが、残念ながらキムヨナは精密機械のようでした。ソチ五輪にキムヨナがでるかわかりませんが、次こそ金メダル狙ってもらいたいです。

さて、浅田真央とキムヨナはジュニアの頃から戦い続けていた宿命のライバル-宿敵ってやつですね。
もちろん戦国武将も武田信玄と上杉謙信のように宿敵がいました。今回は遠藤周作の「宿敵」を御紹介します。

遠藤周作は高名な小説家ですが、そんなに多くの歴史小説を書いていません。「宿敵」は小西行長と加藤清正の対立を書いた小説です。

小説は小西行長は堺の豪商小西隆佐の子供で、秀吉の小姓として使えていたところから始まります。幼名を彌九郎といった行長は商人の出身で石田三成達と後方支援業務を担当していたということで、加藤清正や福島正則らの戦場を駆け回る武闘派達と対立していきました。

行長は商人としての能力生かした海上輸送のスペシャリストとなっていましたが、次第に輸送から海上での戦いができる水軍を組織するようになりました。秀吉の天下取りと同時に行長も順調に出世していきましたが、秀吉の九州平定後に大きな事件が起きました。行長は敬虔はクリスチャンだったのですが、秀吉がバテレン追放令を出したのです。行長は表向き棄教をしましたが、棄教をしなかったために領地を没収された高山右近や国外追放を命じられた宣教師をこっそり領地の小豆島に匿っていました。その情報を知った清正は秀吉に報告しますが、秀吉は知らんぷりをしました。秀吉は小西行長をある目的のために使いたかったので見て見ぬ振りをしていたのです。

九州平定後、肥後一国は佐々成政に与えられます。成政は柴田勝家、徳川家康と組んで秀吉に反抗していたのですが今は秀吉の配下となっていました。成政は肥後で無理な検地を行ったために各地で一揆が起こり、その責任を取り切腹をしました。成政のあとの肥後を半国づつ与えられたのが行長と清正でした。

行長と清正はこの後大きな戦いの先陣を任されることになります。。

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