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英雄にっぽん【池波正太郎の英雄は鹿之助?】 [山中鹿之助]

山中鹿之助ファンの皆様、お待たせしました!
今回は池波正太郎の「英雄にっぽん」を紹介します!!

なんだか大層なタイトルがついているので、信長や秀吉の話かと思えば鹿之助の話なんですよね。。
以前、鹿之助を描いた小説として「英雄にっぽん」と双璧をなす津本陽氏の「出雲の鷹」
を紹介しましたが、(しかも3回に渡って)
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2009-11-22
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2009-12-05
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2009-12-12

今回はどんな鹿之助が描かれているのでしょうか??

結論から先に言いますと、大作家である池波正太郎氏に鹿之助は大局感のなさ、人の良すぎるところ等、かなりのダメ出しを喰らっています。。
何度毛利を攻めても失敗し、挙げ句の果てに上月城籠城中に信長に見捨てられると。。

また、鹿之助がそこそこ頑張っていた因幡攻めについては1ページも書いてないのに、鹿之助の参加していない三方ヶ原の戦いや長篠の戦いについて多くのページが割かれているのです。
大変残念なことですが、ここに尼子再興のための月山富田城奪回という目的のための田舎(失礼!)
のゲリラ戦と戦国最強の騎馬軍団と戦う、鉄砲を使った新しい戦い方との格差を表したらのではないかと思うんです。。

でも尼子再興という目的がないと鹿之助はどこかの大名に属した一武将としてたいして有名にならずに終わったかもしれないですもんね。

鹿之助の一生をまず知るために「出雲の鷹」を読み、その後で戦国時代における鹿之助の立ち位置を俯瞰して見るために「英雄にっぽん」を読むのが『正しい鹿之助の知り方』かもしれません。

ファンとしては悲しい読み方ですが。。

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歴史街道11月号【山中鹿之助メジャー化計画進行中!】 [山中鹿之助]

な、なんと今月の歴史街道11月号の第2特集で我らが(?)山中鹿之助の特集をしているではないですか!!
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/topix.php?unique_issue_id=&PHPSESSID=00353c0c321948dae49eac1df21c41ed

山中鹿之助については以前のブログをどうぞ♪
http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2009-11-22

もしかしたら、歴史街道の編集部が↑このブログ読んでくれたのかも???

いいことが書いています。「一度滅び去った大名家が再興の兵を挙げただけでなく、一定期間拠点を確保しえた例はほとんどない。鹿介の戦いは、それほど稀有なものだったのである。」さすが、鹿之助!

この特集では史実に新たな発見はありませんでしたが、第1次、第2次そして第3次の鹿之助の動きが図説されていて非常にわかりやすいです。

ちなみに歴史街道12月号の第2特集では山県昌景のようです。第2特集でマイナー戦国武将を特集するパターンが続くかもしれませんね。

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出雲の鷹(3)【信長に見捨てられた鹿之助】 [山中鹿之助]

鹿之助シリーズも今日でおしまいです。

鹿之助は単独では尼子家の再興は無理と考え、織田信長を頼ることにします。しかし信長はすぐに毛利と全面対決が出来ない状況だったので、鹿之助は明智光秀のもとで信長を裏切った松永久秀の征伐に加わったりと時が来るのを待っていました。
その後、信長から播磨に向かう羽柴秀吉のもとで働くよう命令されます。

秀吉は毛利と同盟を結んでいる宇喜多直家方の播磨の上月城を落城させ、鹿之助のこの城を守らないかと提案されました。同志に相談したところ「守りにくい」ということで反対しましたが、鹿之助は「ここでがんばらないと秀吉や信長の信頼を勝ち得ない」と説得し、上月城に入り、京都に潜伏していた尼子勝久を呼び城将としました。

ここで尼子主従に不幸が訪れます。。

秀吉に当初したがっていた播磨の別所長治が毛利方へと裏切り、秀吉が別所征伐に向かったタイミングで毛利の6万以上の大軍が上月城を囲みます。秀吉もただちに救援に向かったが3万程度。。しかも羽柴軍は明智、丹羽長秀、滝川一益などが救援に来ているのですが、ここでがんばっても全て秀吉の手柄になってしまうので、戦意が上がりません。困った秀吉はこっそり陣を抜け出し信長に出陣のお願いをしに京都に向かいました。信長の命令は「上月城を見捨てて別所征伐を先に行え」というものでした。。

信長の命令に逆らえない秀吉達は上月城を見捨てて撤収していきました。。
毛利の大軍に囲まれて残された上月城。。。

尼子勝久の切腹と引き換えに城兵を助けるという降伏条件を受け入れ開城しました。
ところが、鹿之助は毛利輝元が家臣にしたいとのことで勝久と一緒に死ぬこと禁じ、輝元は鹿之助を輝元のいる備中松山城まで連れてくるように命じます。しかしこれに納得がいかないのが吉川元春。鹿之助がいなかったら尼子家は月山富田城が落城した時点で滅亡しているはずなのに、何度も何度も尼子家を再興しようとしてそのたびに手を焼いていた元春は鹿之助を殺したくてたまりません。とはいっても輝元の命令に逆らうこともできないため鹿之助を松山城まで護送をしますが、その途中で鹿之助が逃げたことにして殺されました。。この時34才。う~ん若い。。

というわけで、マイナーな名将、山中鹿之助を紹介しました。

大谷吉継や直江兼続と同レベルの義に厚い武将でしかもイケメン。カプコンの人がこのブログを見ていたら次の「戦国BASARA」の新しい武将に入れると思うのですが、、ムリかな?

ちなみに①、、、鹿之助の長男が豪商の鴻池の始祖らしいというのは有名ですね。鴻池は両替商から銀行(鴻池銀行)→他の銀行と合併して三和銀行→三菱東京UFJ銀行となっています。
三菱東京UFJ銀行のルーツを辿ると鹿之助になるのです!

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出雲の鷹(2)【伝説の脱出!】 [山中鹿之助]

すいません、2週間ぶりになります。が、この鹿之助の話はあまりアクセス数が伸びていないようなので(涙)、もう読者を気にせずどんどん行きます!

え~と、どこまでいきましたっけ?

鹿之助が毛利に降伏したのですが、これは無駄に兵を死なせたいための苦肉の策だったので、もちろんいつか逃げ出すつもりです。毛利方の吉川元春はそれに気づいていたのか鹿之助を信用しておらず、鹿之助は十数名の警護の兵に囲まれていました。。そんな中鹿之助は脱出する方法を考えました。

「アイタタタッ」
腹痛を催した鹿之助は警護の兵に頼みトイレに連れて行ってもらいます。腹痛が収まらず何度もトイレに通う鹿之助。トイレの中では「ウンウン」唸って苦しそうです。朝からトイレに通い続け、トイレに通う回数は百回を越え夜になりました。。
さすがに警護の兵も鹿之助がとんでもない病気にかかったのではないかと思い、病気が移らないようにトイレに連れいていっても近くまで行かず遠くから監視してました。そして監視が緩くなった時。。。
鹿之助はトイレの汲み取り口から脱出しました。

ウ○コ(失礼!)まみれで脱出に成功した鹿之助。鹿之助は超イケメンだったらしいです、、、この小説の中でもモテモテです。が、がんばれ鹿之助!

鹿之助は次の尼子家再興計画を建てます。出雲のとなりのとなり国である因幡では山名豊国と部下の武田高信が不仲だったので、豊国を助け、山名に毛利と戦ってもらおうと思いました。鹿之助の活躍で高信は敗れ、事はうまく運んだかのように思えたのですが、山名は毛利と戦う気はなく、そのうち毛利が攻めて来てまたもや鹿之助は敗れ京都に逃げ帰りました。。

尼子家再興は成るのか?

負けるな鹿之助!!

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タグ:山中鹿之助
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出雲の鷹(1)【山中鹿之助メジャー化計画!】 [山中鹿之助]

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

普通そんな事を好き好んで祈る人はいないと思うのですが、その祈りが通じたのか(?)何度も何度も苦難が襲った武将、、お待たせしました~fuzzyも好きな武将の一人である山中鹿之助を今日は紹介します!!!

鹿之助が主役の小説はそんなにありません。その中で南條範夫の「出雲の鷹」は上下巻に分かれていてなかなかの長編でかなり読み応えはありますので、鹿之助の人生を知るにはオススメです。

さてこの鹿之助は山陰の尼子家の家臣でした。尼子家は一時期山陰山陽八カ国の太守だったですが、鹿之助が尼子家の家臣としてデビューした頃には毛利元就に月山富田城は攻められていて、とうとう永禄9年(1566年)に当主の尼子義久が降伏したため、鹿之助は城から出ました。

「出雲の鷹」では義久は毛利の配下として別の土地の所領を与えられるという条件で降伏したのに、だまされて幽閉されてしまった義久を鹿之助は助け出しに向かいます。ところが、、義久は尼子家再興など考えていなく、しかたなく別の方法での尼子家の再興を考えます。

尼子の旧家臣団は京都に集まって暮らしていました。すると、尼子の血を引いた者が京都で僧侶になっていることを知ります。この僧侶は尼子誠久の五男でした。この誠久とそのお父さんの国久は「新宮党」といわれた尼子家一の武功を持っていた分家(国久は本家の頭領晴久のおじいちゃん経久の次男。晴久のお父さん(政久)は若いときに戦死。)だったのですが、晴久と新宮党は仲が悪く、そこに毛利元就が謀略を仕掛けた結果、晴久は新宮党を攻め、
国久、誠久とその他の子供達は殺されました。そんな中を脱出して京都で僧侶になっているというのです。

鹿之助はこの僧侶を還俗させて勝久(あー、○久が多いなぁ、、)と名乗らせ尼子再興の旗揚げをします。

鹿之助達は山陰の海賊、奈佐日本之介の支援を得て出雲に入国すると、各地にいた旧尼子家臣が集まってきて勢力は大きくなり、一気に尼子家の本城であった月山富田城を攻めました。ところが、、毛利軍は300人しか城にいませんでしたが月山富田城を落とすことができませんでした。。そのうち九州に攻め入っていた毛利の本軍が出雲に大軍で攻めてきて、尼子家は離反が相次ぎ、最後は鹿之助も捕らえられてしまいました。。。

さて、鹿之助はどうなってしまうのか?次回に続きます。

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