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廃城をゆく【本格的なお城ムック本!】 [その他]

飛行機や鉄道などの雑誌で有名なイカロス出版から「廃城をゆく」というムック本が6月から発売されています。
https://secure.ikaros.jp/sales/list-f.asp?cat=new

世の中の戦国ブームに廃墟、廃線などの廃●●を掛け合わせて、どうせろくに城についてよく知らない編プロやライターに作らせたんだろうと思いページをめくると、、、

なかなかのレベルの高さにビックリ

裏表紙にいいこと書いてあります。

模擬天守なんて“壮麗優美”な城なんてもうアキアキ! 土に埋もれ、苔むした廃城こそ城の真の魅力が詰まっている!!

あ~、心に響くコピーだ。チクショウ。。

一番大きく取り上げられているのが、滋賀県にある小谷城。建物が一切ないこの城について6ページに渡りカラー写真と共にこのお城のすごさを解説しています。ここまで大きく取り上げられれば、城主だった浅井久政・長政親子も浮かばれるってもんです。

その他にも「Pen」の特集でも出てこないような、わずかな石垣しか残っていない地方のマニアックの城がいくつも紹介されています。竹田城、春日山城はまだほんの序の口。月山富田城、高天神城など籠城戦の舞台になった城や周山城といったfuzzyが知らないお城も紹介されています。

なぜゆえにこんなレベルが高いのか? それもそのはず、この本はfuzzyも参考にさせていただいている有名お城サイトの管理人の方が執筆や写真提供をされているんです。例えば、「城跡巡り備忘録」(http://www.geocities.jp/buntoyou/)のぶんさんや関東のお城訪問の際に大変勉強になる「余湖くんのお城のホームページ」(http://homepage3.nifty.com/yogokun/)の余湖さんが執筆陣に名を連ねているんです。大学の先生や歴史小説家の方以外では最高レベルではないでしょうか?なかなかやりますね、イカロス出版さん♪

ちなみに、廃城鑑賞マニュアルというのが載っていまして、fuzzyも非常に同意できる点がありましたのでここに記載いたします。

①廃城探索には晩秋から春先がオススメ
雪に埋もれてしまうお城(坂戸城とか)はもちろん論外ですが、土塁や空堀の形状がわかりやすい草が生えていないこの時期がいいってことです。

②個人所有であることも
廃城になってから何百年、、国や県の史跡に指定されずそのまま手付かずで残されている場合は地主さんなどの個人所有地になっていて畑として使われている場合が多いので、立ち入り禁止の場所に入らない、畑の中に絶対に入らないなど一般常識のルールはお城ファンとしてお互い守りましょう。

全然関係ないですが、なんでムック本っていうか知っています?
雑誌(Magazine)と本(Book)の間の本という意味なんですね。

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戦国ニュース【第二回戦国文化史検定♪】 [その他]

先週の日曜に戦国文化史検定の第二回目の試験がありましたので受験してきました。
http://www.sengoku-kentei.jp/

午前中に草野球をやって14時の試験開始ギリギリに到着。
試験会場は東京・池袋にある立教大学
せんごく2.JPG


いかにも大学って感じの階段教室に入ります。学生時代を思い出します~
せんごく1.JPG


ん?なんだか前回より人数が少ないような。。70人くらい?男性の年齢層は高く、女性は若い方が多いようです。男女比6:4位な感じでしょうか?

前回は上級合格を果たしたfuzzy。もちろん今回も自信ありです。今回のお題は、、関ヶ原の戦いから41問、日本100名城より40問、過去の問題より19問。余裕でしょう~関ヶ原に城ですよ。


試験開始~

まずは関ヶ原の問題。


あれ?

わかんないぞ。。

畜生、、、レベル上げてきやがった。。
わからんものはわからないです。。。

例えば、、

問35 合戦後に家康は敵将の首実検をなした後、どこに首塚を作り武将の首を祀ったか。二ヶ所選んでください。
    ※それぞれ一つを選び回答項目に記入してください
    ①南首塚②西首塚③春日神社④井上神社
問36 ①今須一里塚②垂井一里塚③北首塚④東首塚

日本100名城の問題では、、

問65 森忠政が完成させた津山城は雛壇のような曲輪を築いた。この曲輪の名称は何か。
   ①一重三段②三重三段③上中下段④一二三段


御存知です?答えは調べてみてください。

ちなみにこんな問題もありました。

問10 七月十二日に石田三成は大坂城で挙兵の計画を立てた。これを家康に伝えたのは誰か。
   ①前田玄以②大谷吉継③増田長盛④安国寺恵瓊

ヨユウヨユウ♪、増田長盛だから③でしょ。

でも?前田玄以ってあてはまらないのかなぁとも悩んだんです。

家に帰って検索してみるとwikiには
「・・・・・石田三成が大坂で挙兵すると、西軍に加担して家康討伐の弾劾状に署名した。一方で家康に三成の挙兵を知らせたりするなどの内通行為を行い・・・・」

別に昔の歴史のことなんて正確に知っている人はいないんだからいいんですけどね。。

武将名の変換ミスや文章の間違いがありましたが、全体的にやりごたえのある出題でした。
目標は80点を狙います。

この試験を結果は履歴書に書くのも変だし、完全なる自己満足なんですよね。
もしこのブログをご覧いただいている方で受験された方がいましたら感想きかせてくださいな。

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戦国ニュース【“幻の城”敦賀城が出土!】 [その他]

なんとみんな大好き(?)大谷吉継の居城、福井の敦賀城が出土したらしいのです!!

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敦賀城の建物一部か、礎石出土 敦賀西小校庭で出土
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/index.php?page=article&storyid=20493&storytopic=5

敦賀市教委は19日、福井県敦賀市結城町の敦賀西小校庭から戦国武将・大谷吉継が拡張、整備したとの伝承がある敦賀城の建物の一部とみられる礎石が見つかった、と発表した。敦賀城郭の痕跡が発見されたのは初めて。礎石が見つかった同じ土層からは複数の瓦が出土していることから、当時勢力のあった武士たちが出入りしていた建物の礎石とみられている。

 市教委では「敦賀城はどこにあったか詳しく解明されておらず、謎に包まれた城。今回の出土で場所を特定する糸口が見つかった。貴重な史料」と価値を強調している。

 校庭東側の縦約5・5メートル、横約7・5メートルの範囲を深さ約2メートル掘ったところ、建物の柱の基礎となる礎石が20個以上出土した。建物の外周部の礎石とみられ、最大で直径60センチ近いものもあった。

 敦賀郡史によると、敦賀城は現在の結城町と三島町1丁目にまたがり、南北約500メートル、東西約300メートルの範囲にわたり、敦賀西小はこのエリア内に位置している。敦賀城は1583年から33年間しか存在しなく文献でしか分からなかった「幻の城」。積み重なる土層から礎石は戦国時代末期のものとみられ、城が存在した時期と合致した。

 敦賀城は1583年に領主となった蜂屋頼隆が現在の同市花城地区から移転、築城した。89年に領主となった大谷吉継が拡張整備したとの伝承が残っている。吉継は1600年の関ケ原の戦いで、西軍豊臣方の将として戦ったが敗れて42歳で自刃した。

 1615年に徳川幕府が出した一国一城令により、翌16年に敦賀城は取り壊された。

 敦賀市教委の中野拓郎学芸員は「石垣や天守閣のものではない。これまで伝承しかなかった敦賀城の痕跡が見つかったことで、このエリアを約2メートル掘れば何か別のものが出てくるかもしれない」と期待を込める。気比史学会の糀谷好晃会長も「文献でしか分からなかった幻の城が表に出た意義は大きい。礎石の地層の位置が確認され、今後の発掘につながる」と話している。

 耐震診断の結果を受けた新校舎への建て替えの一環で、昨年11月から建設予定地の試掘調査を進めていた。敦賀城のものとみられる礎石は掘り出して保存する。校庭は本年度内に埋め戻し、今後の調査の予定はない。新校舎建設は7月ごろに着工する見通し。22日午後1時半から同市教委が現地説明会を行う。


「幻の城」敦賀城遺構、発掘調査で初めて確認
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100320-OYT1T00210.htm

福井県敦賀市教委は19日、同市結城町の市立敦賀西小学校校庭で、敦賀城の一部とみられる16世紀末の建物跡を発掘したと発表した。

 敦賀城は、関ヶ原の戦い(1600年)の奮戦ぶりで知られる戦国武将大谷吉継の居城だったが、江戸幕府の一国一城令により、築城から約30年で姿を消した“幻の城”。古地図などから同校周辺にあったことはわかっていたが、発掘調査で遺構が確認されるのは初めてという。

 調査は、新校舎建設に先立って昨年11月から行われており、これまでに明治時代の裁判所や江戸時代の奉行所の跡も見つかっている。敦賀城のものとみられる建物跡は地下約2メートルの地層から出土。柱を置いた礎石が20個以上あったほか、同時代の陶磁器や瓦などが見つかった。

 市教委文化振興課の中野拓郎係長は「城郭の一部を構成していた建物と考えられる。これまでは伝承しかなかった敦賀城の全容解明につながる貴重な発見だ」と話している。22日午後1時30分から、現地説明会が開かれる。

(2010年3月20日10時27分 読売新聞)
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敦賀城は関ヶ原の戦いで大谷吉継が自刃ののち、一国一城令で廃城となってしまい、現在は敦賀城の門が移設されている以外はどういうお城だったのか全くわからないお城だったんですね。

残念ながら調査後は埋め戻されて、お城としての復元はないようですが、秀吉に「百万の兵を指揮させたい」と言わせた吉継が拡張した縄張りが少しでもわかればうれしいことです♪

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戦国ニュース【今月の「サライ」はお城特集です】 [その他]

表題通り、現在発売中の「サライ」はお城特集なんです。
http://blog.serai.jp/contents/saisingo/index.html

表紙の大坂城の写真を見てわかり通り、この時期の「サライ」は桜の名所を紹介するのが常ですが、今年は桜の名所の城跡を紹介しています。fuzzyの桜とお城のイメージといえば「高遠城」と「弘前城」。どちらもまだ行ったことがないのですが桜の時期にいきたいものです。皆さんの桜の名所の城跡はどこですかね?

なんとこの号は桜の名所を紹介して終わりではなく、「城」基本の(き)と題してお城の解説をしています。石垣の種類やお城の鑑賞ポイントなど、なかなか奥深い特集となっておりますので、お城好きの皆様必見です。

巻頭で城好き芸能人の一人である坂東三津五郎と御存知、小和田哲男先生が対談しています。

お城好き芸能人というとロンブーの淳、石原良純、春風亭昇太が有名ですよね。
以前たまたま見ていた「笑点」が青森からの公開放送で大喜利のあいさつの時に、春風亭昇太が「ご当地浪岡城を訪れてまいりました」と言ってました。

浪岡城。。

弘前城ならまだしも浪岡城を訪れたことを全国放送の番組で話してどれだけの人に伝わったでしょうか?
かなりのマニアなんでしょうねぇ。

あ、ブログ発見
http://blog.livedoor.jp/shinsaku12346/archives/51406152.html

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戦国ニュース【めざましテレビで城ブームを紹介していました】 [その他]

今朝のめざましテレビによると今若い女性の間で城ブームらしいです。「歴女」のみなさんが武将に興味を持ち、その武将が苦心して作ったお城に興味を持つという流れ、決して間違っていないと思います。

姫路城で「日本100名城」をスタンプラリーで回っている女性が紹介されていて、「次は明石城に行きますっ」って言ってました。う~ん、、櫓しかない明石城か。。これはホンモノだ。。。

そして名古屋城では「おもてなし武将隊」というイケメンがいるそうです。
知らなかった。。。前田慶次や加藤清正など名古屋出身の武将によるショー(?)が行われているとのこと。
彼らとの撮影タイムは30分以上の列が出来てました。

武将隊のブログです。
http://ameblo.jp/busho-tai/

お城に多くの人が訪れる事は良いことです。名古屋城は来場者が増えて本丸御殿復元の軍資金になるといいですね!

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戦国文化史検定の結果 [その他]

山中鹿之助の物語の途中ですが、10月に受検した「戦国文化史検定」の結果が届きましたので報告します。

結果は100点満点中、、、、ジャカジャカジャカジャカジャン!

91点

でした!

85点くらいかなと思っていたので適当に答えたのが合っていたのかもしれません。
なお、認定基準は90点以上-上級、70~89点-中級、50~69点-初級、ということなので、上級に認定されました。
fuzzy.jpg


ちなみに3月に第2回が実施されるようです。
http://www.sengoku-kentei.jp/index.html

今年の流行語に「歴女」が選ばれたように第2回の受検者は増加しそうですが、裾野を広げるのであれば問題の難易度が低くなってしまいますよね。でもfuzzyのように究極の戦国ネタ問題を求めるとなるとマニアしか集まらない検定になってしまうし難しいところですよね。もっとメジャーになったら英検のように級に分けてもらえるとうれしいですね。 3月のいつに実施されるかわかりませんが、予定が合えば第2回も挑戦したいと思います。
皆様、会場でお会いしましょう!

では、引き続き次回は山中鹿之助の3回目の尼子家再興の物語に戻ります。

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戦国ニュース番外編【戦国文化史検定受けてきました!】 [その他]

戦国文化史検定受けてきましたよ~
DSCN0576.JPG

会場に着くと、会場内はし~んとして皆さんは本などを読んで勉強している様子。。なにひとつ準備をしていないfuzzyはなんだか緊張してきましたよ。。

会場は縦に20人×8列でだいたい7~8割座っていたので130~40人くらいが受験されていたのでしょうか?男女比は、、、ほとんど半々だったような感じがします。こんなに女性(しかもみなさん若い)が多いとは思いませんでした。すごいなぁ戦国ブームは、、

試験開始時間が近くなり、問題用紙が配られます。問題用紙はこんな感じ。
DSCN0582.JPG


いや~なんかTOEICとか入試試験みたいじゃないですか!実は受検料は4,200円で「ちょっと高いなぁ。。」と思っていたのですが、こんなにしっかりした問題を配られたら納得してしまいました、はい。

問題ですが、難しかったですよ、、、ちゃんと勉強すればよかったのかなぁ?いやでも勉強、、って感じでもないしなぁ。

例えばfuzzyがわからなかった問題。

問題!デーデン!(ウルトラクイズ風)

真田昌幸が所用していたと伝わる「革包二枚仏胴具足」にはある絵が描かれている。その絵は何か?
①昇り竜②三段枡③日輪④昇り梯子

しらねー、、、、見たことないし。。

正解はこちらで。
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/vassal/sanada-armor.htm

80点が目標です!!
結果は11月になるとの事。良くても悪くても報告しますね!

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戦国ニュース番外編【戦国文化史検定に挑戦します!!】 [その他]

明日(10月12日)は第1回の戦国文化史検定の日になります。
実はfuzzy、こっそり申し込んでいました。初物に弱いのです。。
DSCN0529.JPG


戦国文化史検定とは、、
Webページ(http://www.sengoku-kentei.jp/guide/index.html)から抜粋すると。。
「戦国文化史検定は、日本の歴史の中で注目度の高い戦国時代の戦乱を駆け抜けた武将たちのエピソードと、その時代背景から様々な問題を出題します。
この検定を通じて日本の歴史に触れ、戦国時代にいざないます。
また、戦国時代の知識を探究する試験に留まらず、様々なイベントを通じてより興味深い戦国史の情報を参加者のみなさんにお伝えしていきます。」となっています。

まぁ、戦国時代のブログを書いている者として挑戦してみよう、と。
出題形式は100問の4択マークシートを1時間で回答するようです。今回の出題内容は参考図書(戦国合戦入門、真田幸村と大坂の陣)から出題されるようです。どっちも学研の「歴史群像シリーズ」のものですな。読んでないけど大丈夫かな?

ちなみに合格不合格はなく、点数によって初級~上級に認定されるようです。ま、合格しても給料が上がるわけでもないし人生で最も気楽な受験ですかね?

もし受けられる方いらっしゃいましたら、東京会場でお会いしましょう!
結果も含めて後日レポートします!

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戦国ニュース【ひ、彦根城が、、、】 [その他]

いや~台風18号。皆さんのところは大丈夫でしたか?fuzzyが住んでいる東京は朝ものすごい風と雨で「こりゃ会社いけないな[るんるん]」と思っていたら、すぐに晴れてきました。。

そんな台風18号が国宝の彦根城の石垣を崩落させてしまったようです。

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【台風18号】彦根城の石垣崩れ、重文「太鼓門櫓」白壁はがれる
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/091008/dst0910081432059-n1.htm

強い勢力を保ったまま本州を縦断した台風18号の影響で、国の特別史跡「彦根城跡」(滋賀県彦根市)では、城の石垣が高さ1・5メートル、幅6メートルにわたって崩れたほか、城内の重要文化財「太鼓門櫓(たいこもんやぐら)」の白壁の一部が高さ約30センチ、幅約2メートルにわたってはがれ落ちた。

 また、城跡内にある石垣も高さ約1・5メートル、幅約6メートルにわたって崩れたほか、旧木俣家屋敷西側の木塀(高さ約2メートル)も約18メートルにわたって倒れた。
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夏に地震で崩落した駿府城の石垣を紹介しましたが、自然災害で貴重な史跡を傷つけてしまうのは悲しいことですが、自然には逆らえませんね。。

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戦国ニュース【横山城に新事実が・・・】 [その他]

今日はマニアックな城ネタです。ついてきてくださいよー。
横山城の話です。「横山城=羽柴秀吉」とつながった人。すばらしい!なかなかの戦国(城?)マニアですな。

まずは横山城の歴史から。

横山城というのは近江国にあった城です。もともと浅井長政が六角承禎に対抗するための城として作られたのですが、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍の戦い「姉川の戦い」で織田・徳川連合軍が勝利した後に攻略されました。この横山城は浅井長政の居城小谷城から6~7kmしか離れていないため、姉川の戦い後に浅井の監視する拠点として、羽柴秀吉が城代として入城していたんですね。

その後、浅井家が滅亡するとその領地は秀吉に与えられ、秀吉は長浜に城を作り、横山城は廃城となって歴史上から姿を消したのです。。

というのが昨日までの話。新しい事実が発覚したのです!

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土塁、秀吉が改修補強か 長浜・横山城 2期にわたり築造確認
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009090900193&genre=M2&area=S00

滋賀県長浜市東部の中世の山城・横山城遺跡(同市石田町など)を調査している長浜市教委は9日、遺跡南側の主郭(しゅかく)跡で確認されていた土塁が戦国時代に2期にわたって築造されていたことが分かった、と発表した。曲輪(くるわ)内から掘立柱建物の柱穴が初めて出土した。

 土塁は防御施設として設けられ、まず岩盤を削って幅約2メートル、高さ0・5メートル(現存部分)規模で築造。2度目は、そこに土を盛って幅約4メートル、高さ0・7メートルに改修。土塁内から16世紀初め以降の土師(はじ)器などが出土した。

 横山城は、織田信長の小谷城攻めの際の前線基地として、城番を務めた羽柴秀吉が城を修築したとする文献もあり、市文化財保護センターは賤ケ岳の戦い(1583年)に備えて秀吉が土塁を改修補強した可能性があるとしている。

 掘立柱建物の柱穴は、調査地東部の平たん部で15個見つかった。直径30~50センチ。兵士が駐屯した簡素な小屋とは異なるため、城番の武将がいた建物とみられる。

 横山城は京極氏が築造し、信長軍が姉川の合戦(70年)で浅井・朝倉軍を破った後、秀吉が小谷城攻めの拠点として陣取った。中世城郭に詳しい中井均聖泉大非常勤講師は「秀吉が2度にわたって横山城とかかわったことが考古学的に確認できた意義は大きい」と話している。

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なんと、廃城されたと考えられていた横山城が賤ケ岳の戦いに備えて改修された可能性が出てきたんですね。しかも両方とも秀吉がかかわっている可能性が高いらしいです。

お城の新事実が発覚するのは面白いですねー。

ちなみに横山城の記事は他の新聞にも掲載されていたのですが、京都新聞の写真の土塁が一番分かりやすかったです。


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